奈良岡朋子さん新たな旅へ 93歳、肺炎 新劇界の名優の死に吉永小百合が西田敏行ら悼む
新劇を代表する名優で、映画やテレビドラマなどでも幅広く活躍した劇団民藝代表の奈良岡朋子(ならおか・ともこ)さんが23日午後10時50分、肺炎のため東京都内の病院で死去していたことが29日、分かった。93歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで26日に行った。喪主は民藝の演出家でめい(実兄の長女)の丹野郁弓(たんの・いくみ)さん。故人の遺志により、お別れの会等は行わない。
民藝によれば、奈良岡さんは22日に息が苦しいと訴えて病院に向かい、23日、身内にみとられた。最近は舞台「黒い雨~八月六日広島にて、矢須子~」の公演に向けて過ごしていたという。丹野さんは、奈良岡さんは「稀代の晴れ女」だとして、「3月23日の夜は雨だった。小糠雨に打たれながら、ああ、もういいや、と奈良岡さん思ったな、と私は呟いた」と振り返った。
また、奈良岡さんが「私が死んでも絶対葬式はやるな、これは私の遺言だ」と常々言っていたと明かした。
奈良岡さんは48年、第1次民藝の研究生となり、50年、滝沢修さんや宇野重吉さんらが創立した民藝に研究生で参加し、創立公演「かもめ」でニーナ役を演じた。新劇を代表する名優で、丹野さんは「演技には客観性がある。戯曲の読み込みも深い。確かな技もあった。冷静さと計算と感情を優れたバランスで持ち、表現できる稀有な女優」と説明する。外部では森光子さん主演の「放浪記」で81~06年に797回、日夏涼子役を演じた。
テレビドラマや映画出演も多く、テレビでは石井ふく子さんのプロデュース作品、橋田寿賀子さんの脚本作品に多く出演。86年には親交があった石原裕次郎さんの後を受けて「太陽にほえろ!PART2」でボス役を演じた。語りの良さを生かし、NHK連続テレビ小説「おしん」などのナレーションや海外女優の吹き替えも多く務めた。映画にも黒澤明ら巨匠の作品から「釣りバカ日誌」シリーズまで数多く出演した。
80代を迎えると、戦争を知らない世代が首相を務める時代に危機感を覚え、13年夏から取り組んだ一人語りの舞台「黒い雨」がライフワークとなった。「戦争を語り継ぐことは、命を失った人たちの礎の上に生き残った者にとって義務だと思う」と語っていた。
また、40歳下の俳優・岡本健一(53)に「対等に芝居の話をできる相手」と敬意を表し、16年に「二人だけの芝居」で共演。最後の舞台も昨年2月7日、岡本との朗読劇「ラヴ・レターズ」だった。
生前にはお別れの言葉を残していた。希代の名優は「新たな旅が始まりました。(中略)これが別れではないですよ。いつかまたお会いできますからね。それでは一足お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり…」と伝え、旅立った。
◆奈良岡朋子(ならおか・ともこ)本名同じ。1929年12月1日生まれ、東京都出身。父は洋画家の奈良岡正夫。疎開先の青森県立弘前高等女学校から女子美術専門学校に進学。在学中の48年、民衆芸術劇場研究生となり、「女子寮記」で初舞台。50年、劇団民藝設立に参加。当たり役に「イルクーツク物語」のワーリャ、「奇跡の人」のサリバン先生など。民藝での出演は7000ステージ超。00年、同期の大滝秀治さんと共同代表となり、12年10月からは1人で代表に。テレビドラマや映画でも活躍し、紀伊国屋演劇賞、文化庁芸術祭大賞など演劇、映画で受賞多数。92年に紫綬褒章、00年に勲四等瑞宝章。