異色の声優・相羽あいな プロレスラー時代を激白「死んだらそれも運命」バンドリ!で人気
相羽あいなは声優としてスマートフォン向けアプリゲーム「バンドリ! ガールズバンドパーティ!」に出演し、同ゲーム内のバンド「Roselia」の湊友希那役などで確かな存在感を放つ。声優になる前はプロレスラーだった相羽は今もYouTubeで「相羽あいな 富田麻帆の I Love プロレスリング」を配信するなどプロレス愛は衰えない。子供の頃は歌手や声優を夢見ていた相羽はプロレスの世界に入ったとき「これで死んだらそれも運命」と決死の覚悟だった。
相羽は高校を卒業後、しばらく居酒屋や焼き肉店で働いていた。歌うことが大好きで友人とカラオケを楽しむ日々だった。
「小さい時から人前で歌うのが好きで、地域でのど自慢大会があったら親に内緒で申し込んでました。遠くに行きすぎて迷子になったことも。やりたいことがあったらすぐにやってました。モーニング娘。さんが好きでしたね」
モー娘。で一番踊った曲は何だったのだろう。
「うわー!なんだろ?『恋のダンスサイト』かな。ダンスが激しいのでいい運動にもなりましたから」
当時、相羽の地元ではカラオケはフリータイム500円。安いこともありよく通った。
「友達からうまいとは言ってもらえましたけど周りに芸能活動やってる人はいないし、中学生のときには歌手なんて現実的じゃないってあきらめてました」
それでも完全に断ち切ることはできなかった。母が何気なく「声の仕事っていいよね」とつぶやき、ずっと相羽の心にこだまする。先輩とカラオケに行ったとき、とある声優をまねした。このときの先輩の言葉が以後の相羽の行動の指針となる。
「声優とか好きなんじゃないの。そういう声してるし。やらずに後悔するよりやって後悔したほうがいいんじゃない」
歌手も声優も絶対なれないと思っていた相羽は意を決して声優の専門学校に行き、東京に引っ越して大手声優事務所の研究生となった。芽は出なかった。それでも諦めなかった。
「とにかく止まっちゃいけない。演技の勉強をしたいから、専門学校の友達が劇団を作るっていうので私も加わりました」
ここで人生が変わった。相羽の舞台を見ていた別の劇団のプロデューサーが、普段からプロレスの話題が多い相羽に声をかけた。「プロレス好きやろ?やってみいひん?顔つきも強そうだし」
その場で断った。
「絶対無理ですって言いました。部活は音楽系統しかやったことないし、運動神経も悪いし。それでも、プロデューサーさんが、とりあえず女子プロ見に行こうって誘ってくださって。それでスターダムさんの試合を見に行ってめっちゃかっこ良かったんです!できるかどうか分からないけどやろうと決めました。死んだら死んだで、それも運命だと思って。やらずに後悔するよりやって後悔しようと」
練習期間から含めて約3年間、プロレスラーとして活動した。
「試合の数は一桁でプロレスラーって言っていいんかなって思います。同期の子はすごい試合してるしベルトも取ったりとか。尊敬する人ばかりで、私なんておこがましい」
ジレンマも抱えていた。周囲のプロレスラーは柔道やウェイトリフティングなどの経験者がいた。自分には同様の基礎はない。そんなある日、カラオケで「新世紀エヴァンゲリオン」のオープニング曲「残酷な天使のテーゼ」を歌った。「声に惹かれた」という人物が相羽の人生に大きく影響していくことになった。