伊集院光、落語家時代に偽名で活動続けた経緯告白 バレても師匠は寛大、理由は30年後に判明
タレントの伊集院光が、29日に配信されたナイツ・塙宣之のYouTube「ナイツ塙の自由時間」に出演し、偽名でラジオパーソナリティーを続けた理由を語った。
伊集院は1984年、17歳の時に三遊亭円楽(当時は楽太郎)さんに弟子入りし、三遊亭楽大を名乗っていた。当時は師匠の許しがなければ外部の仕事をしてはいけないというしきたりだった。
しかし、落語家を辞めた兄弟子が放送作家となってラジオ番組を担当するようになり「素人の出演者が足りない」状況となったところで、伊集院に助っ人として出演を求めてきたという。ラジオで顔が出ないということもあり「偽名で出てくれ」と依頼された。
伊集院も断り切れずにラジオ出演を繰り返すようになり、偽名だった「伊集院光」が徐々に知られるようになった。「ラジオでどんどん名前が出て来たころに、いろんな噂が師匠の師匠に伝わってく。そこで『伊集院光』を名乗ってるから『おまえは三遊亭が恥ずかしいのか』みたいな間違った捉えられ方をして、間にはさまれてうちの師匠が困っちゃうみたいなこともあり、(落語家を)辞めていく」と経緯を説明した。
“闇活動”を師匠に明かした場面についても振り返った。ある時、円楽(当時は楽太郎)さんに連れられてニッポン放送にあいさつに行くことになった。しかし、当時すでに「伊集院光」として同局でレギュラー番組を持つ立場。同局の玄関にポスターが貼ってあり、ごまかし切れずに円楽さんに「三遊亭楽大」とは別名義で活動していることを告白したという。円楽さんは「おまえらの世代はやってみなきゃ分からないこともあるから」と寛大だった。
寛大だった理由が分かったのは30年後、円楽さんの自伝を読んだ時だった。実は円楽さんも、先代の円楽さんに弟子入りする際に、落語会の混乱もあり、しばらく「付き人」という立場で落語を習っていたという。伊集院と似た体験をしていたため、師匠に隠しての活動にも理解があったと説明した。