娯楽映画の巨星、落つ 中島貞夫監督死去 88歳肺炎 「日本の首領」「極妻」など手がける
娯楽映画の巨星が落ちた。「やくざ戦争 日本の首領(ドン)」3部作や「極道の妻たち」シリーズなどで知られる映画監督で脚本家の中島貞夫(なかじま・さだお)さんが11日夕、肺炎のため京都市内の病院で死去していたことが15日、分かった。88歳。千葉県出身。葬儀は家族葬で行われた。喪主は長男純太(じゅんた)さん。多くの映画スターが、巨匠を悼んだ。
中島さんは日比谷高校から東大というエリートコースを歩み、東映京都撮影所で巨匠のマキノ雅弘、沢島忠、田坂具隆、今井正に師事した。64年の監督デビュー作「くノ一忍法」では、東大でギリシャ悲劇研究会をともに設立した倉本聰氏が脚本を執筆した。
66年、「893愚連隊」の現代的なセンスが高く評価された。当時の心境を反映したラストの「いきがったらあかんで。当分はネチョネチョ生きとるこっちゃ」は、名ゼリフとして知られる。
67年にフリーとなり、時代劇「大奥(秘)物語」が大ヒット。政治テロ史を描いた「日本暗殺秘録」(69年)、異色ドキュメンタリー「にっぽん ’69 セックス猟奇地帯」(同)、艶笑喜劇「温泉こんにゃく芸者」(70年)、菅原文太さんと川地民夫さんが名コンビぶりを見せた「まむしの兄弟」シリーズ(71年~)など、不良性感度が高い娯楽作品を幅広く手がけた。
77年からはオールスターキャストの大作「日本の首領」3部作を大ヒットさせ、その後も「極道の妻たち」シリーズなどで東映を支えた。御大・片岡千恵蔵さんは「こいつは俺の芝居をしっかりと撮ってくれる」と中島さんを褒めていた。
77年には三上寛とアルバム「ピラニア軍団」をプロデュースするなど多才で、デイリースポーツでも80年代に「太秦行進曲 きょうと映画人かたぎ」、2014年に「中島貞夫 傑作選劇場」とコラムを連載。後者では思い出深い作品に「893愚連隊」とATGの「鉄砲玉の美学」(73年)を挙げている。
87年から大阪芸大映像学科で教授、学科長として熊切和嘉、山下敦弘、石井裕也、呉美保ら後進監督を育成。近年は立命館大客員教授、京都映画祭の総合プロデューサー、京都国際映画祭の名誉実行委員長として京都の映画振興に尽力した。
19年には21年ぶり62本目、最後の長編劇映画となった時代劇「多十郎殉愛記」を発表。プレミア上映での「時代劇を消さないことがわれわれの務めとの気持ちで老いの身にムチを打ちながらやりました」の言葉どおり、最後まで映画にささげた活動屋人生だった。
◆中島貞夫(なかじま・さだお)1934年8月8日生まれ、千葉県出身。59年、東大を卒業し東映入社。助監督としてマキノ雅弘、沢島忠、田坂具隆、今井正に師事。64年、「くノ一忍法」で監督デビュー。「893愚連隊」(66年)で日本映画監督協会新人賞。67年フリー。同年に「大奥(秘)物語」、77年に「やくざ戦争 日本の首領」が大ヒット。主な作品に「日本暗殺秘録」(69年)、「まむしの兄弟」シリーズ(71年~)、「序の舞」(84年)、「極道の妻たち」シリーズなど。著書に「遊撃の美学 映画監督中島貞夫」(04年)など。