坂本龍一さん 死の3日前自ら緩和ケアに 21刊行「-満月を見るだろう」で最期の日々紹介

 坂本龍一さん(Photo by Neo Sora(c)Kab Inc.)
 李禹煥さんの絵を配したアルバム「12」のジャケット
2枚

 死の3日前、自らの意志で緩和ケアに-。今年3月28日に71歳で死去した音楽家の坂本龍一さんは、亡くなる直前までパソコンやスマートフォンなどに日記を書き残していた。あす21日刊行の坂本さんの著書「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」(新潮社)では死生観や音楽への思いをつづった日記の一部とともに、病院での最期の日々が紹介されている。

 「かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ」(2021年5月12日)

 同年1月、直腸がんの手術を受けた坂本さん。同書によると、がんは肝臓などにも転移し、手術は20時間に及んだ。その後、肺への転移も判明。2年で6回の手術を重ねた闘病の苦しみの中で、音楽に心を奪われる瞬間だけ病を忘れることができたと明かす。

 今年1月に「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」で活動を共にした高橋幸宏さんが死去。2月18日の日記には「NHKの幸宏の録画見る/ちぇ、Rydeenが悲しい曲に聴こえちゃうじゃないかよ!」とつづり、高橋さんが手がけたYMOの代表曲を挙げて死を惜しんだ。

 坂本さんのこの十数年を聞き書きの形でまとめた文芸誌「新潮」の連載をもとにした同書。聞き手を務めた編集者・ジャーナリストの鈴木正文さん(74)は「坂本さんがやがて訪れるこの地上での死を予期して始めたことだと思う」と語る。

 死後、遺族から日記の一部を託された鈴木さんは、後書きにその日記を紹介、遺族に聞いた最期の日々も盛り込んだ。

 坂本さんは3月19日に自宅で食事をして就寝後、真夜中に気胸で病院に救急搬送された。肺の状態は悪く、緩和ケアに移ったのは25日のこと。坂本さんは医師と握手して礼を述べ「もうここまでにしていただきたいので、お願いします」と語ったという。

 その後、事前に決めた葬儀で流す曲目を選び直し、中国での展覧会の打ち合わせをオンラインでこなし、音楽監督を務める東北ユースオーケストラの公演も病床で見守った。ベッドの正面に、1月発表のアルバム「12」のジャケット用に現代美術家の李禹煥さんが描き下ろした絵を飾らせたのは27日。28日未明に亡くなった。

 「坂本さんは最期の瞬間まで非常に意志的であった」。鈴木さんは、そうしのんだ。

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