【渡邉寧久の演芸沼へようこそ】50年も空位 「志ん生襲名」は…
落語家が会見を開くことは珍しく、その機会を逃さず、気がかりな案件について質問することにしている。
つい先日、「5代目古今亭志ん生没後50年追善興行」の記者会見が、東京・新宿末広亭で行われた。9月中席(11日~20日)、同所で開催される会について一通り質問が出きった後、50年も空位になっている「志ん生襲名」について尋ねてみた。
志ん生の孫弟子で、人間国宝に認定されたばかりの五街道雲助(75)は「それは私らがどうのこうの言える問題ではないから」と慎重に言葉を選び、「止め名(芸名を誰にも継がせないこと)のような扱いになっているのはおしい」と続けた。
会見に同席した末広亭の真山由光席亭は「しまっておかないで出した方がいい」と明快。古今亭志ん彌(73)は「大変なものを背負わなきゃいけない」と、伝説化している志ん生という大名跡の襲名の難しさに言及した。
「昭和の名人」「落語の神様」。そう冠が付く「古今亭の家元」。金原亭馬生(75)は「初代は止め名にできるけど、志ん生は5代目、前に4人の志ん生がいるから止め名にはできない」と指摘したうえで、「落語家の芸名は遺族のものでもあり、ある程度公のものでもあり、ある程度弟子のものでもある。そのあたりが、身内が継ぐ歌舞伎界とは違って難しいところですね」
息子の古今亭志ん朝師匠がいずれ継ぐものと誰しもが思っていたが、2001年10月に63歳で死去。その病床で志ん朝師匠は、取り扱いを上野鈴本演芸場に託したという。それは事実で、以前、鈴木敦席亭に「会長(前席亭の鈴木寧さん)が、自分の目の黒いうちに決めます、と言っています」と聞いたことがある。6代目の誕生を、落語ファンとしては心待ちにするばかりだ。
9月の追善興行は、10代目金原亭馬生没後40年、3代目古今亭志ん朝23回忌、2代目古今亭圓菊13回忌追善も兼ね、昼席、夜席完全入れ替え制で実施。古今亭・金原亭一門約80人が総出演する。
追善興行期間中の17日(日)、Eテレで「カラーで蘇(よみがえ)る古今亭志ん生」(昼2時~)が放送される。全盛期の高座「風呂敷」をカラー化したもので、高座映像が少ない志ん生の芸だけに録画マストの放送だ。(演芸評論家)
◆渡邉寧久(わたなべ・ねいきゅう)新聞記者、民放ウェブサイト芸能デスクなどを経て独立。文化庁芸術祭・芸術選奨、浅草芸能大賞などの選考委員を歴任。東京都台東区主催「江戸まちたいとう芸楽祭」(ビートたけし名誉顧問)の委員長を務める。