犬塚弘さん逝く 94歳「クレージーキャッツ」最後のメンバー 山田洋次監督作品で俳優としても活躍
1950年代後半から60年代にかけて国民的な人気を博したグループ「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーで、俳優としても山田洋次監督の映画などで存在感を発揮した犬塚弘(いぬづか・ひろし、本名弘=ひろむ)さんが27日までに死去した。94歳。東京都出身。通夜、告別式は既に行われた。犬塚さんの死去で、クレージーのメンバーは全員がこの世を去った。
犬塚さんは近年、熱海の介護付きマンションで妻の幸子さんと暮らしていたが、15年頃に先立たれた。大林宣彦監督の遺作となった20年の映画「海辺の映画館-キネマの玉手箱」を最後に俳優を引退。同年の週刊女性のインタビューでは、発声練習1時間、ベッドに腰かけて足踏み300回の日課を続けていると報じられていた。
179センチの長身に長い手足。スマートで生真面目な江戸っ子だ。先祖は三河以来の直参旗本で、祖父の代まで新橋の大地主。三井物産で海外勤務が長かった父の影響で、音楽に興味を持った。
約2年半の会社員生活を経て、兄のハワイアンバンドにベースで参加。クラシックの先生に習い、弓を使ってウッドベースを弾いた。「萩原哲晶とデューク・セプテット」時代にハナ肇さんと出会い、「ハナ肇とキューバン・キャッツ」を結成。米軍キャンプで「クレージー」だと大受けし、クレージーキャッツに改名した。
渡辺プロダクションの第1号タレントとなり、音楽も笑いもハイレベルなコミックバンドとしてジャズ喫茶での実演、「クレージー黄金作戦」などの喜劇映画、「おとなの時間」「シャボン玉ホリデー」や「若い季節」などのテレビ番組で国民的な人気者になった。
犬塚さんは「ワンちゃん」の愛称ととぼけたキャラクターで親しまれた。2004年のデイリースポーツインタビューでは「僕は“まあまあまあまあ”の女房役ですよ」と、個性派ぞろいのグループでの役割を説明している。
人気が下火になり個々で活動するようになると、俳優業に主軸を移した。64年の「馬鹿まるだし」からの山田作品で演技開眼し、映画や舞台、テレビドラマで活躍。舞台では木村光一氏や故井上ひさしさんの薫陶を受けた。ひょうひょうとしながら哀愁を醸し出す演技が持ち味だった。
クレージーは解散せず、79年に日本劇場で開催された結成25周年公演は1週間、連日超満員。88年のハナさん主演映画「会社物語」に全員で出演するなど、絆は固かった。
◆犬塚宏(いぬづか・ひろし)1929年3月23日生まれ、東京府荏原郡大森町(現東京都大田区大森)出身。49年、文化学院卒業。IBMを経て兄のハワイアンバンド「グリーン・グラス・キャップ・ボーイズ」でベースを担当。「萩原哲晶とデューク・セプテット」時代にハナ肇と出会い、「ハナ肇とキューバン・キャッツ」を結成。国民的な人気グループとなる。70年代以降は俳優業に主軸を移し、映画、舞台、テレビドラマで活躍。20年の映画「海辺の映画館-キネマの玉手箱」を最後に俳優を引退。愛称ワンちゃん。