【追悼】犬塚弘さん 根底にあった『気骨』 娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー佐藤利明氏

 1950年代後半から60年代にかけて国民的な人気を博したグループ「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーで、俳優としても山田洋次監督の映画などで存在感を発揮した犬塚弘(いぬづか・ひろし、本名弘=ひろむ)さんが27日までに死去した。94歳。東京都出身。

  ◇  ◇

 クレイジーキャッツのベーシスト・犬塚弘さんが亡くなられた。94歳、生涯現役を貫いた。まさに大往生である。

 誰もがワンちゃんと親しみを込めて呼んだ。敗戦後、文化学院を卒業してIBMに入社。米国人上司の振る舞いに耐えられずに大喧嘩してすぐに退職。ハワイアンバンドを結成した兄から「お前は背が高いからベースを弾け」と言われるままに、ベーシストとなる。

 時はあたかも戦後ジャズブーム。他のバンドをクビになったハナ肇から「コミックバンドやらないか」と声をかけられ、クレイジーキャッツの前身、キューバンキャッツに参加。ジャズからコミック・バンドへ、やがて「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」などのバラエティでコントを演じ、いつしか性格俳優になっていた。

 テレビ、映画、舞台で犬塚さんはたくさんの役を演じたが、その根底にあったのは「気骨」である。

 いつも背筋を伸ばして、ダンディな身なりをして、相手を立てることを忘れない。植木等さん、ハナ肇さん、谷啓さんに続く「クレイジー第四の男」は、メンバーを立てる脇役でいることに誇りと矜持を持っていた。

 谷さんが亡くなった時、犬塚さんに「一緒に自伝を書きませんか」と提案。それから半年かけてロングインタビューを重ね、新聞連載を経て「最後のクレイジー犬塚弘 ホンダラ一代ここにあり!」(講談社)にまとめた。本ができて、犬塚さんは「思い残すことはない」と仰っていた。「後は、これからの人生を楽しむだけ」とニコニコと笑っていた。

 奥様と共に熱海のマンションに転居されてからは、文字通りセカンドライフを満喫されていた。時折、「犬塚です」と電話で、植木さんや谷さんとのエピソードを楽しく話してくれた。それは僕の大切な財産となっている。犬塚さん、お疲れ様でした。本当にありがとうございました!

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