八代亜紀さん逝く 演歌の女王早すぎる73歳 リハビリ闘病も先月末に容体急変 急速進行性間質性肺炎

 「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られる歌手・八代亜紀さんが昨年12月30日、急速進行性間質性肺炎のため死去していたことが9日、公式サイトで発表された。73歳。熊本県出身。葬儀は8日に事務所スタッフのみで執り行った。後日、お別れの会を予定しているという。昨年9月から療養のため芸能活動を休止し、早期の復帰を目指していた中、あまりにも早い旅立ちとなった。

 艶やかなハスキーボイスで老若男女を魅了した「演歌の女王」が、静かにその生涯を閉じていた。

 八代さんは昨年8月に皮膚炎などの症状があり、複数の病院を受診した結果、自己免疫疾患である膠原(こうげん)病と診断され、年内の活動休止を発表。その際、「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね」などのコメントを発表していた。

 関係者によると、一時は体調が回復。12月下旬までは元気にしており、退院の話も出ていたが、容体が急変。最期は事務所スタッフに囲まれ、いつも通りの穏やかな表情で旅立ったという。常々、スタッフや医療従事者に「みんなありがとう」と感謝を伝えていたという八代さん。9月9日に行われたジャズ奏者・日野皓正のスペシャルライブにゲスト出演したのが最後の仕事となった。

 八代さんは中学卒業後に歌手を目指して上京、新橋や銀座のクラブで歌った。1971年に「愛は死んでも」でデビューし、73年に発表した「なみだ恋」が大ヒット。その後、「愛の終着駅」「舟唄」など多くのヒット曲を連発し、80年には「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。現在でもレコード・CDの総売上枚数が女性演歌歌手で1位の記録を保持している。

 「演歌の女王」でありながら、ブルースやジャズなど幅広いジャンルを歌いこなし、2010年には「人の哀感を巧みに描き出す魅力的な歌声と歌唱技術」が評価され、文化庁長官表彰も受けた。また絵画でも才能を発揮。画家の登竜門とも言われる世界最古の美術展、フランスの「ル・サロン」で5年連続入選を果たし永久会員となった。

 アーティストの枠にとどまらず、バラエティー番組でも活躍。全国の女子刑務所や少年院への慰問もライフワークとし、両親からの「1人では何もできない。支えてくれる皆さまに感謝を」という教えを、生涯にわたり体現した。18年に「第16回グッドエイジャー賞」の授賞式に出席した際、「声が出なくなるまで歌います」と80歳までライブを続けることを目標を掲げていた。目標には届かなかったが、その歌声は永遠となる。

 ◆八代亜紀(やしろ・あき)1950年8月29日生まれ、熊本県八代市出身。71年9月、テイチクから「愛は死んでも」でデビュー。73年に「なみだ恋」がヒットし、「もう一度逢いたい」、「愛の終着駅」などヒット曲を生み出す。79年にも「舟唄」が大ヒット。80年に「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞・大賞を受賞した。私生活では1994年に当時の所属事務所社長と結婚したが、芸能生活50周年となる2021年1月に離婚した。

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