戦場への恐怖、作曲という恐怖と闘い続けた九十余年「浪花のモーツァルト」キダ・タローさん悼む

 「浪花のモーツァルト」の愛称で親しまれた作曲家のキダ・タロー(本名・木田太良)さんが14日に死去したことが15日、所属事務所から発表された。93歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行われた。

  ◇  ◇

 キダさんを取材したのは7年前だ。待ち合わせ場所のホテルに行くと、マネジャーの他に女性がいた。美千代夫人だった。心の中で「奥さん同伴かい!」とツッコんだ。

 1時間の予定が2時間を超えた。最後に「奥さまからご覧になってキダ先生はどんな方」と尋ねた。美千代さんは「変わってます。だらしがないんです」と即答した。キダさんの笑い声がカフェに響いた。美千代さんは「一日中パジャマでおります。24時間、同じ服を着てても平気なんです。お風呂も何日も入らなくても平気です」。キダさんは「風呂は一つの変化でしょ。昔は変化いうたら、ろくなことがなかったからね、空襲とか。変化はないほうがいい」。70年前の戦争体験をひきずっていた。

 キダさんは「戦争が終わったときのあの解放感。男の子は皆、いつ召集令状が来るか分からなかった。恐怖です。どこに行かされるか分からん」と当時を回想。「そういう制約がなくなったあの瞬間のありがたさ。これからは自分のことを考えればいいんやという解放感でした」

 キダさんは大好きだった音楽の道にのめりこんでいく。しかし簡単ではなかった。「当時は庶民が音楽をやろうと思ったら独学しかなかった。先生はいない、お金はない、ピアノなんてあるはずもない。木に鍵盤の絵を描いて、それで指を動かす練習をしました」

 浪花のモーツァルトとして長年親しまれてきたが、モーツァルトよりショパンを好んだ。「あの人の音楽はどこをとっても全部美しく作られている。感情的に叙情的に。素晴らしい」

 作曲した曲数は数千に及ぶ。CMソングの制作についてキダさんは「早く作ってくれと言われる。2日も3日もかかったら商売になりませんねん。曲を作るのは怖いです。注文があっても作れるやろかという恐怖がある」。戦場への恐怖、作曲という恐怖と闘い続けた九十余年だった。

 安らかにお眠りください。(デイリースポーツ東京報道部芸能担当部長・林 大造)

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