元人気アイドル「ADに羽交い締め 翌日から画面から消えた」放送禁止用語3回叫び→仰天の謹慎期間「スケジュール真っ白」
タレントの松本明子が8日放送のカンテレ「おかべろ」に出演。アイドル時代に起こした伝説の放送禁止用語事件を語った。
1983年にデビューし、アイドルとして活躍していた松本。落語家・笑福亭鶴光のラジオ番組「オールナイトニッポン」でアシスタントを務めていた。一方でフジテレビでは深夜番組「オールナイトフジ」が放送されており、1984年、鶴光の番組が10周年を迎えたことから、-ニッポンと-フジがコラボした二元生放送を行うことになったという。
それで-フジに出演した生放送に出演。MCを務めていた片岡鶴太郎から「松本明子ちゃんの好きな人、知ってるんだよね。名前言っちゃおうかな」とからかわれ、松本は「やめて~」と対応。鶴光が「言われたくないんだったら、4文字言ってみなよ。そしたら鶴太郎さんも許してくれるんちゃう?」とささやいたという。
「大きい声で、叫んでしまった」という松本。MCの岡村隆史は「2回言いました?」と聞くと「3回…。とまらなくなっちゃいました」と白状した。アイドルが生放送で放送禁止用語を絶叫。一瞬にしたスタジオは大事件の現場となった。
「事件ですよ。もう。フロアにいたADさんのインカムから漏れ聞こえるサブからのプロデューサーさんの声ですよ。もう怒ってますよ。『松本明子!撤収しろ!スタジオから撤収!撤収!』と。ADさんから羽交い締めにされて、画面から消えました」
振り返った松本。さらなる地獄の日々が待っていた。「翌日からスケジュール真っ白。2年弱くらい」。そこに救世主が表れた。同じ事務所に所属していた中山秀征だ。「見てたんでしょう。仕事がないから、堀越に毎日、通える私を、不憫に思ったんでしょう。僕がやっているバラエティー班に移ってきなさいよ。一緒にバラエティーやりましょう」と声をかけてくれた。やがて、バラエティータレントとして復活を遂げた。