桂ざこばさん急死 人情の噺家 関西人に愛された「ざこびっち」 遠慮のない物言いで人気 76歳、喘息
落語家の桂ざこば(かつら・ざこば、本名・関口弘=せきぐち・ひろむ)さんが12日午前3時14分、喘息(ぜんそく)のため大阪府の自宅で死去した。76歳。大阪市出身。所属する米朝事務所が公表した。通夜・葬儀は故人、家族の意向で家族葬として営まれ、後日、お別れの会を行う予定。長年、上方落語界を支え、お茶の間でも人気を博した重鎮の、あまりにも突然の旅立ちに各界にショックが広がった。
遠慮のないストレートな物言いで人気を博し、関西の重鎮ながら「ざこびっち」の愛称でも親しまれたざこばさんが、突然の旅立ちを迎えた。
関係者によると、ざこばさんは亡くなる前日もいつも通り食事を取るなど、変わりない様子で「本当に普通だった」という。しかし、就寝中に持病の喘息の発作が出て、病院へ救急搬送される間もなく、妻にみとられながら息を引き取ったという。
米朝事務所の滝川裕久社長は報道各社に宛てた書面で「あまりにも突然の事で、ご家族も今は悲しみにくれるばかりです」と記し、「我々スタッフにもお気遣いくださる、とても素敵な師匠でした」と、故人を悼んだ。
1963年5月、3代目桂米朝に弟子入り。「朝丸」を名乗った。75年、日本テレビ「ウィークエンダー」のリポーターとなると、関西弁でテンポ良く、まくし立てるような特徴的な口調で、「朝丸」として全国的な知名度を獲得した。88年4月に2代目桂ざこばを襲名してからも、数多くのテレビ番組に出演。レギュラーを務めた読売テレビ「そこまで言って委員会NP」では、社会問題などに切り込み人気を博した。
落語にも真正面から取り組み、ざこば襲名後に「上方お笑い大賞」を2度受賞。入門し約3年で初の独演会「朝丸自身の会」を開催し、94年には運営方針への不満から上方落語協会を脱退するなど、型破りな面もあったが、08年、母らが所有するマンションを改築し、大阪市内に寄席小屋「動楽亭」を開設。上方落語の発展や、後進の育成にも積極的に取り組んだ。
近年は病とも闘い続けた。今年4月30日に弟子の襲名会見に出席した際には「喘息で全然あきまへん。はーあ。喘息あかんわ。ほんまに」と語った。17年5月には脳梗塞で救急搬送。21年11月には、喘息に慢性閉塞性肺疾患を併発して入院、休養を繰り返した。
晩年は体調を考慮して仕事をセーブしていたといい、高座は今年2月23日、兵庫・宝塚で開催された寄席が最後に。テレビ出演は昨年末、カンテレの番組で、自身の「長寿を願う」ことをテーマに、ますだおかだらと香川・小豆島で行ったロケが最後となった。
師匠・桂米朝や自身の弟子の葬儀で人目もはばからず号泣するなど、涙もろい人情家の一面も持ち合わせたざこばさん。笑いを愛し、関西人に愛された、唯一無二の落語家が逝った。
◇桂 ざこば(かつら・ざこば=落語家、本名関口弘=せきぐち・ひろむ)1947年9月21日生まれ。大阪市出身。後に人間国宝となった桂米朝さん(15年死去)に63年入門、朝丸と名乗る。88年に2代目桂ざこばを襲名。代表的なネタは「崇徳院」「らくだ」「蜆(しじみ)売り」など。92年、03年に「上方お笑い大賞」大賞、16年度芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)。テレビ番組のリポーターを務めるなどタレントとしても活躍。上方落語協会理事を務め、後進の育成に尽力した。