「うそ漫談」街裏ぴんくのうそ偽りなき思い「とにかく漫談に興味持ってもらえるよう」
コワモテの風貌と独特な芸名で記憶に残ってる人も多いだろう。今年のピン芸人日本一決定戦「R-1グランプリ2024」の覇者・街裏ぴんく(39)。自己紹介以外は全て架空の話という唯一無二の「うそ漫談」で過去最多5457人の頂点に立った。このほど、デイリースポーツの取材に応じ、芸歴20年目(当時)にしてたどりついたタイトルまでのいばらの芸人人生や、「うそ漫談」への思いなどを“うそ”偽りなく語った。
戴冠への道筋は描けていなかった。「今まで14回受けて、最高でも準決勝に1回だけ行った男が決勝に行ってる画が浮かばなかった」。自らへの疑いを、圧倒的な熱量で覆した。他の出場者がフリップやモニターを用いたネタを披露した中、無我夢中で「うそ」を語る話術のみでR-1を制した。
芸人を志したのは2004年。大学1年生の時、高校の同級生からコンビに誘われたのがきっかけだった。「大学は遊びほうける為に行っててちょっと付き合うぐらいの感じだった」。それでも「やり出したら1、2カ月で『あ、俺まじでプロ目指してやりたいわ』」と本気になった。
コンビは3年で解散も、ピンで活動を開始した。当時から「うそ」の要素を入れたネタも披露していたが「全くウケなかった」と述懐。実際にあったことに対してツッコむ「ぼやき漫談」を中心に披露していたという。
11年まで大阪で活動し、東京へ進出した。うそ漫談として一本化したのは15年から。日本テレビ系「ガキの使いやあらへんで!」の企画「ハガキトーク」から着想を得た。ハガキに寄せられる架空の相談に、淡々と返す松本人志と浜田雅功の掛け合いにドハマリしたという。浅草の劇場で4年間話術を磨き、小さいレンタルルームで毎月20本、新ネタを披露する公演を10カ月続けた。
芸人を志し、結果が出るまで20年。途中、引退を考えたこともあった。22年に開催された芸歴11年以上の芸人が出場できる大会「Be-1」で優勝し、賞金50万円を獲得。だが「次の日、普通にバイトの面接行って、バイトを始めた」という。妻には「22年中に有名になれる兆しがなんもなかったら、一般の社会に行こうと思う」と伝えた。
すると妻からは「一般の社会なめるな!」と一喝された。妻は根っからのお笑い好きで、街裏が大阪で活動していた当時からのファンだった。街裏自身「長続きしたバイトがほとんどない」といい「『そんなやつが一般の社会で働けるわけないやろ』って言われて。『意地でもお笑いの世界にしがみついて稼いできてほしい』って」と苦笑いで振り返った。
R-1優勝後、仕事量は「体感で5倍から6倍」に増加した。それでも軸は「めちゃくちゃ漫談」と言い切る。「とにかく今まで活躍できなかった場所に行って、漫談にも興味を持ってもらえるようにしてもらう」。さらに「俺にとってのうそは、その場の一体、全員で作り上げる物。俺の言葉の裏には、『いいでしょ、この世界』っていうのがはらんでる。お客さんにもそう思ってもらえるような状態を作り上げるのが僕の漫談やと思ってます」と続けた。無限に広がるうそを武器に、自分の道を貫き続ける。
◆街裏ぴんく(まちうら・ぴんく=本名・島谷洋平)。1985年2月6日生まれ。大阪府堺市出身。2004年、大学1年生の時、高校の同級生からコンビの誘いを受けて芸人を志す。07年に解散後、ピン活動を開始。高校時代からヒップホップが好きだった同級生や、CHEMISTRYの川畑要からの影響を受け短髪に。身長178センチ。体重106キロ。特技は「全ての有名人を街中で目撃したことがあるので、その目撃談を話せます」。