桂米丸さん死去 99歳 老衰で 大正生まれ、戦後から落語人気に尽力

 落語芸術協会のファン感謝デーに出席した(左から)春風亭昇太、桂米助、桂歌丸さん、桂米丸さん、三遊亭小遊三=2007年10月
 真打ち昇進が決まった桂歌丸さん(左)を激励する桂米丸さん=1968年1月
 「宇宙戦争」を口演する桂米丸さん=2012年6月
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 元落語芸術協会会長で現最高顧問の落語家・桂米丸(かつら・よねまる、本名・須川勇=すがわ・いさむ)さんが1日午後4時45分、老衰のため、都内の病院で死去したことが5日、分かった。同協会が発表した。99歳。横浜市出身。米丸さんは新作落語の第一人者として活躍。昭和のテレビ黎明(れいめい)期には多くのテレビ・ラジオに出演。落語業界の発展に尽力。弟子は18年に死去した桂歌丸さんら。葬儀は4日に近親者のみで執り行った。

 大正生まれの現役最高齢の落語家で、戦後から落語界を盛り上げてきた「テレビスター」が1日に、静かに息を引き取った。

 関係者によると、近年は弟子の桂米助らと、連絡を取り合っていたという。寄席定席最後の高座は19年9月の下席新宿末広亭だった。その後、新型コロナウイルスの感染拡大で寄席出演は控えていたものの、コロナ禍後も創作意欲は衰えることなく寄席復帰を模索していたという。

 昭和時代の落語人気に尽力した。終戦直後の1946年に新作派の古今亭今輔に入門。47年には二ツ目に昇進し古今亭今児を名乗り、49年に四代目桂米丸を襲名し真打となった。1950年代以降、日本のテレビ開局当初には「テレビスター」として広くお茶の間の視聴者に愛され、NHK「お好み演芸会」や「お笑いマンガ道場」の司会、「お笑いスター誕生!!」の審査を担当するなど幅広い番組に出演した。

 また、サラリーマンや庶民の生活を描いた新作に取り組み、得意ネタに「相合傘」、星新一さんの名作ショートショートを落語にした「賢明な女性たち」などを題材にし新作落語一筋を貫いた。

 指導役としても定評があり、後進育成に力を注いだ。1976年には日本芸術協会(現落語芸術協会)の三代目会長に就任し、23年間会長職を務めた。落語芸術協会は「協会会長を勇退後も顧問、最高顧問として後進の指導に携わり続け、当協会の精神的支柱であり続けられました」としのんだ。

 18年には自ら名を授けた弟子の桂歌丸さんが死去。葬儀に参列し「『笑点』での人気におごらず、『勉強しよう、他人と同じことをやってちゃダメなんだ』という意欲を持って大成なさった」などと弔辞を読み上げていた米丸さん。弟子に先立たれる悲しみから6年。天国で待つ歌丸さんのもとへと旅立った。

 ◆桂 米丸(かつら・よねまる=本名須川勇=すがわ・いさむ)。1925年4月6日生まれ。横浜市出身。46年、五代目古今亭今輔に入門。49年に四代目米丸を襲名し、入門からわずか3年で真打ちにスピード昇進。得意ネタに「相合傘」、星新一さんのショートショートを落語にした「賢明な女性たち」など。92年に紫綬褒章、98年に旭日小綬章。

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