高石ともやさん逝く 反戦・反体制フォークの草分け 68年「受験生ブルース」ヒット 有森裕子さん名言の“生みの親”に

 イベントで歌唱する高石ともやさん=2015年11月
 マラソン後に笑顔を見せる高石ともやさん
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 「受験生ブルース」などのヒットで知られるフォーク歌手の高石ともや(本名・尻石友也=しりいし・ともや)さんが、病気のため17日に亡くなっていたことが19日、分かった。所属事務所が発表した。82歳。北海道出身。葬儀は近親者のみの密葬で執り行われる予定で、後日お別れの会を開催する予定となっている。

 関西フォークの旗手が静かに旅立っていた。

 所属事務所によると、体調を崩して入院療養中だったが、17日午後3時30分、京都市内の病院で息を引き取ったという。

 立教大学在学中にボブ・ディランらの楽曲を訳して歌唱、1966年に「かごの鳥ブルース」でデビュー。反戦、反体制フォークの草分け的な存在で、68年にリリースした「受験生ブルース」は全国的なヒットを記録した。学生運動が盛んになる中、ギター一本の演奏に、メッセージ性の強い歌詞で日本中を巡って歌い、日本のフォーク界をけん引した。

 米国、カナダへの一人旅を経て、71年にはフォークバンド「ザ・ナターシャー・セブン」を結成し、京都での活動を開始。73年にスタートさせた「宵々山コンサート」には永六輔さん、渥美清さん、桂米朝さんら多彩なゲストが出演し、京都の夏の名物行事となった。

 晩年も精力的に歌手活動を続けた。年末恒例の「年忘れコンサート」は大阪などで22年までに47回行われ、ラストコンサート前の取材会では「90歳くらいまで自分のフォークを作っていこうと考えています」と、力強く語っていた。

 マラソンランナーとしての健脚ぶりも有名で、ホノルルマラソンには77年から43回連続で出場。80歳となった22年にも出場を果たした。93年には米国大陸を横断する「トランス・アメリカ・フットレース」で64日間をかけ4700キロを走り切る鉄人ぶりを見せていた。

 マラソンと縁深い高石さんの言葉が、歴史に残る名言を生んだ。96年のアトランタ五輪女子マラソンで銅メダルを獲得した際に有森裕子さんが発した「自分で自分をほめたい」。同年の流行語大賞にも選出された言葉は、かつて高石さんが女子駅伝の開会式で読み上げた詞を、高校生だった有森さんが書き留め、日記に挟んでいたことから誕生した。後日、有森さん本人からそのエピソードを聞いた高石さんは、驚きとともに、大きな自信にしていたという。

 自身の目標として、歌とマラソンの両立を掲げていたという高石さん。歌い続け、走り続け、人生を最後まで全力で駆け抜けた。

 ◆高石ともや(たかいし・ともや)1941年12月9日生まれ。北海道出身。立教大学卒業。66年に「かごの鳥ブルース」でデビュー。68年の「受験生ブルース」が大ヒット。高石音楽事務所にはザ・フォーク・クルセダーズ、岡林信康さんらが所属した。69年に渡米し、帰国後にザ・ナターシャー・セブンなどを結成。永六輔さんらと京都で「宵々山コンサート」を2011年まで30回開催。マラソン、トライアスロン選手としても知られ、米大陸をマラソンで縦断。オーストラリア1100キロマラソンも完走。

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