【ヤマヒロのぴかッと金曜日】ピーコさんとの思い出

 『お黙り、ヤマシロ!!』。生放送中にピーコさんをちゃかしたり異論を唱えたりすると、彼は、、、いや彼女はいつもこう言って私の発言をさえぎるのだった。江戸っ子が話す言葉は「ヒ」と「シ」の区別がつかないと言われるが、それを実感したのは、彼が、、、いや彼女が初めてだった。放送中のみならず楽屋で談笑している時も、食事を共にした時も同様だったので、きっと自然に口から出る発音だったのだろう。それが面白くて、やがて私がその口調をまねるようになると『あんた!いいかげんにしなさいっ!!』って言いながら皆と一緒に大笑いしてくれた。

 ピーコさんと初めてご一緒したのはカンテレの「2時ドキッ!」という情報番組だった。双子の兄弟・おすぎさんとともにお茶の間の人気を博しテレビではいつも辛口トークを売りにしていたので、多少尻込みしながらごあいさつしたのを覚えている。以来、「スーパーニュースアンカー」(カンテレ)、「ちちんぷいぷい」(MBS)など報道、情報番組を通して世の中のさまざまな事象について貴重なご意見をいただいた。東日本大震災で被災した釜石で息長く支援活動を続けたピーコさんが、能登の惨状を目にしたら何と言っただろうか。

 とにかく優しい人だった。とりわけ社会的弱者へのまなざしは慈愛に満ちていた。ときに感極まって涙で詰まることもあり、生放送中やきもきしながらも、どのような言葉を紡いで表現するのか、いつまでも待っていようと思った。

 当時はまだLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア)という言葉もなく差別や偏見も強い時代だったが、そんなことに臆することなく常に堂々としていた。飲むと『美輪明宏さんの時代に比べれば、私たちは大したことないわよ』なんて言ってたが、若い頃は相当苦労したと思う。昨今、同性愛者が世間に認知されるようになってきたのは「おすぎとピーコ」さんのような人がメディアを通して自分なりの生き方、スタイルを貫いたことが大きく寄与したと言っても過言ではない。

 そして彼は、、、いや彼女は、誰よりも親身になってくれる人だった。どんな小さなことでも覚えていてくれた。ある時、私が歯が痛いと言った翌週、乾燥させたナスのヘタを黒くなるまで焼いて粉末にし塩を混ぜたものを持参して『今日からこれを歯全体に塗って毎朝カチカチと「叩歯(こうし)」すれば歳とっても抜け落ちないから。ちゃんとやるのよ!』。

 常にセンスの良い服に身を包んだオッサン。だけど、心はいつも乙女だった。『おハゲはきら~い』と言ってたので2人の間に愛情こそ芽生えはしなかったが、男女分け隔てなく愛情を注いでくれる「オカマの中のオカマ」だった。合掌。(元関西テレビアナウンサー)

 ◇山本浩之(やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は自家菜園。

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