高橋陽一氏「キャプテン翼」のテーマは「翼を世界一のサッカー選手に、日本をW杯で優勝させたい」【インタビュー第1回】
28日からデイリースポーツで世界的に人気を博すサッカー漫画『キャプテン翼』の連載がスタートするにあたり、原作者の高橋陽一氏(64)がインタビューに応じた。3日連続インタビューの第1回は、高橋氏がサッカー漫画を描いた経緯から、名作『キャプテン翼』へ込めた思いなどを語った。
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-サッカー漫画を描くきっかけとなったのは。
「高校生の時、1978年のアルゼンチンワールドカップ(W杯)をテレビで見て、そこからサッカーがすごく面白いなと。当時はもう自分でも漫画を描いていて、僕は野球少年だったので野球漫画を描いていたんですけど、W杯を見てサッカー漫画も描くようになりました」
-W杯を見て感じたサッカーの一番の魅力は。
「単純に面白かったっていうか。サッカーは詳しくなくて、選手もそれほど知らなかったけど見ていて面白い。サッカーってこんなに面白いスポーツだったのかと、その時に気づきました」
-当時はサッカー漫画も少なかった。サッカーを描くのは相当のチャレンジだったのでは。
「まず手本にするものがあまりなかったので、自分で考えながらやらなければいけなかった大変さはありました。ただ、逆にまだ描かれていないアイデアがあったかなと。野球漫画だと水島新司先生(ドカベンなどの作者)たちが描き尽くしていたというか、いろんなアイデアがすでに出まくっていた。そういう意味では、描きやすかった部分もありますね」
-『キャプテン翼』を描く上でのテーマは。
「サッカーはワールドワイドなスポーツだと思っていました。なので、最初に打ち出したのは(翼を)世界一のサッカー選手に、そして日本をW杯で優勝させたいという二大テーマでした」
-世界を見据えたテーマでスタートした。
「それ(テーマ)が出た時に、そうなるとやはり子供の頃から鍛えていかないと、そこまでにはたどり着けないかなと思ったので小学生の設定にしました」
-そこからキャプテン翼は一大ブームを巻き起こした。当時はどんな感じで見ていたのか。
「週刊連載の漫画の場合、1週1週が勝負なんです。その1週をどうやって面白くするかを考えながらやっていたので。毎週毎週を全力投球してきた結果が出たのかなとは思っていました」
-世間のフィーバーを感じる余裕はなかったか。
「そうですね。そんなに意識はなくて。面白い漫画を描こうという気持ちだけでした」
-日本にとどまらずジダンやロナウジーニョといった世界的スター選手も影響を受けてきた。
「アニメ化されて海外へ輸出されるようになりましたが、当時の日本は本当にサッカーがそんなに盛んじゃなくて、プロリーグもなかった時代。ただ、自分が見たのがW杯だったので、世界のサッカーから入ったのが大きかったのかなと」
-そのコンセプトが世界で受け入れられた。
「サッカーの本質というか、サッカーはこれが面白いんだというところを自分なりに考えて漫画に書いていました。それが欧州や南米のサッカーを詳しく知っている人たちにも刺さった、通用したというのは、自分のサッカー感みたいなものが間違っていなかったという気はしています」
-日本でもプロリーグが無い時代に子供たちが『キャプテン翼』でサッカーを知った。日本のサッカー文化を形作った。
「日本のサッカーは、その(連載開始)当時はW杯に出るのも夢物語だったので。でも将来的にはそうなってほしいなって。サッカーってこんな面白いスポーツだから、日本でもっとはやるべきだよなっていうのは自分の中にありました。そうなってほしいという願いを込めながら描いていた部分もありますね」
-今は『キャプテン翼』も週刊誌連載を終えてネーム(下絵)形式に切り替えて発表している。
「漫画でちゃんとペンを入れ、スタッフが背景も入れてという形で作ると、やはりすごく時間がかかる。月に50ページが限界だが、ネームだけだと月に100数ページを描けるので。そうすると物語も、先へ先へと進んでいきますからね」
-ストーリーを前に進めることを優先させた。
「80歳まで描けたとしたとしても、普通の漫画の形式で描くと途中までしか描けないというのは分かっていたので。日本代表が、翼たちがW杯で優勝するところまで描きたいと思ったら、ネーム形式にするしかなかったんです。それでも描けるかどうか分からないですけど(笑)。それだけ長い物語になってきているという感じです」
-今回のデイリースポーツでの連載にあたり読者へメッセージを。
「昔、子供の頃に読んだ方々は、もう一度懐かしがって読んでいただけたら。また新しくキャプテン翼に触れる子供さんたちも、新聞ということですごく読みやすいと思います。親子で、それこそ3世代とかで楽しみに読んでいただけたらうれしいなと思います」
◇高橋 陽一(たかはし・よういち)1960年7月28日、東京都葛飾区出身。80年に「週刊少年ジャンプ」での読み切り作品『キャプテン翼』で漫画家デビュー。翌81年に同作品で連載を開始。83年からはテレビアニメ化され、日本にサッカーブームを起こした。2013年には地元・葛飾区のサッカークラブ「南葛SC」の後援会会長を務め、19年からはオーナー兼代表取締役に就任した。23年には漫画を通したサッカー界への多大な貢献から日本サッカー殿堂入りを果たした。
◆『キャプテン翼』 「ボールは友達」が信条の主人公・大空翼が岬太郎や若林源三との出会い、ライバル・日向小次郎らとの戦いを通じて成長していくサッカー漫画。1981年に「週刊少年ジャンプ」で連載開始。83年にはテレビアニメ化され、日本に一大サッカーブームを巻き起こした。その後も続編で翼たちの成長が描かれてきたが、物語の進行などを優先するため漫画連載は2024年4月をもって終了。同年7月からウェブサイト「キャプテン翼WORLD」でネーム形式による『キャプテン翼ライジングサンFINALS』が連載開始した。『キャプテン翼』は世界的にも人気を博し、ジダンやロナウジーニョ、イニエスタ、メッシ、ネイマールらが大きな影響を受けたことでも知られる。