団長安田 生き方変えた友の死 お笑い8割、震災2割で語り継ぐ 昨年資格取得「日本一面白い防災士」になりたい #阪神淡路大震災から30年

 お笑いトリオ・安田大サーカスの団長安田(50)は兵庫県西宮市出身で、20歳で被災を経験。小学校1年生からの友人だった山口恵介さん(当時20歳)を亡くした。芸人を志す大きなきっかけになったという友人の死を経て、しばらくは震災について話す気になれなかった中、昨年12月に防災士の資格を取得。芸人として何を伝えられるのか-。「日本一面白い防災士」を目指す安田に当時への率直な思いを聞いた。

 取材冒頭、神妙な面持ちで切り出した。

 「最初に言っておくと自分自身は30年たって記憶が薄れていくというのはある。結構取材で『この30年どうですか、あの時どうでしたか』って聞かれても、だんだん定かじゃなくなって来てて。『多分こう思ってたんやろな』なんですよ」

 震災から30年がたったから特別な思いがあるわけではない。あの悲劇から30年がたった、それだけだ。

 しかし、目に映った光景は今も鮮明に覚えている。JR甲子園口駅前で倒壊したビルを前にぼうぜんとたたずむ姿は当時の新聞にも掲載された。「最初はビルが崩れているなんて、まず思わなかった。そこら中、火が出て、信号は止まってるし、古い家も崩れてるし」。状況がのみ込めなかった。

 成人式からわずか2日後だった。仲間たちと思い出や、これからについて語り合ったばかり。その中で友人の山口さんは倒壊したビルの生き埋めとなり、未来を奪われた。

 山口さんはいつも遊ぶメンバーの1人で、あの日はビル内にある祖母の家に泊まっていたことを知っていた。救出されるまで約5日間。24時間態勢で友達と交代しながら見守り、無事を願った。

 「でもそこにいた記憶がないんです。だから(記憶が)飛んでる。ショックすぎたんじゃないですかね」

 変わり果てた友人の姿にぼうぜん自失となった。だが、自身の生き方を変えた。それまでは好きな時に休んで働く「フラフラしてた」人生。芸人への憧れはずっとあったものの、踏み出せずにいたことがバカらしくなった。

 「よう言ってくれたんです。『芸人になれ』って。恵介の死に顔見て人間いつ死ぬか分からんねやと思って。売れないと恥ずかしいって思いもあったけど、20歳で寝てたらそのまま死ぬってこれよりしんどいことないなって」。すぐに今の事務所の養成所に通い始めた。

 数年前までは震災関連の取材や講演も言葉に詰まるため、あまり受けなかったが、あるお坊さんから聞いた言葉が話すきっかけになったという。

 「『人間には二つの死がある』と。『一つは命が本当に亡くなった時。もう一つはその人の名前や記憶が世の中から忘れ去られた時』。で、二つ目の死を阻止することは俺はできるなと思った」

 その言葉に山口さんや犠牲者の顔が浮かんだ。「もっと皆に(震災のことを)伝えてって言われてる気がして」。背中を押されたように感じた。

 講演でのモットーは、「お笑い8割、震災2割」で語ることだという。「1回専門の人の講演を見に行って、率直に面白くは無いなと思って。集中力ないんで、しんどいなと思っちゃったんですね」と苦笑。「例えばクロちゃんの悪口8割言うて、2割震災の事で刺さればそれで良いし、10個言うて10個なんてなかなか刺さらへんなって」。団長ならではの方法でユニークに伝えている。

 昨年12月には「説得力も増すだろう」と防災士の資格も取得。その上で伝えたいことは2つあるという。

 「何が起きるか分かんないから、やりたいことはやったほうがいい」、「防災で一番必要なのは人。助けてくれるのも人。近所ですれ違った時、ニコっとするだけでも声かけやすいんとちゃうって言うようにしてる」。行動と、人付き合いの大切さを口にした。

 これからも山口さんの思いを胸に活動する。「率直に日本一面白い防災士になりたいと思ってます」。即答した言葉には確かな力強さを感じさせた。

 ◆団長安田(だんちょう・やすだ)1974年4月26日生まれ。兵庫県西宮市出身。20歳の時に、阪神・淡路大震災を経験。同年から松竹芸能の養成所に通い始める。2001年、HIROとクロちゃんとともにお笑いトリオ「安田大サーカス」を結成。24年、防災士の資格を取得。趣味・特技はロードバイク・サッカー、トライアスロンなど。身長163センチ。体重60キロ。

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