遠藤ミチロウ、初監督で“語った”震災

 1980年代、パンクバンド「ザ・スターリン」を率いて過激な楽曲とパフォーマンスで一世を風びしたミュージシャンの遠藤ミチロウ(65)が初めて映画監督を務めたドキュメンタリー「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」が、23日に公開された。還暦を迎えた自身のライブドキュメントになるはずが、撮影開始直後に東日本大震災と福島第一原発事故が発生。福島出身者として、震災と原発事故に直面した自画像をスクリーンに描き出した遠藤に話を聞いた。

 映画では広島、奄美群島の加計呂麻島、愛媛・宇和島など日本各地を回るツアー暮らしと、「あまちゃん」の音楽で知られる大友良英らと立ち上げた支援イベント「プロジェクトFUKUSHIMA!」が並行して描かれる。故郷の福島・二本松に住む母チエさんを訪れる場面もある。

 福島出身、東京在住の遠藤は、自身を「外と内を行ったり来たりしている立場」と定義。「今住んでいる人たちはどういう思いでいるのか、外で見ている人物はどういう思いでいるのか、その両方を捉えたのがこの映画」だと説明した。

 震災後、福島を訪れて「放射能が怖いとかいう話はなく、福島差別的なことをされたって話ばかり。住んでいる人間の感覚と外で見ている人の感覚は全然違う」と感じた。プロジェクト-も「福島差別的なものへの憤り」が、立ち上げの動機だったという。

 遠藤は「原発は戦後の象徴であり矛盾である。豊かな生活って言っている日本人は皆、原発に象徴されるものを持っていると思う。それは本当に豊かなことなのか?ともう1回考えさせられる決定的なものが、原発がぶっ壊れることで出てきてしまった。原発の問題は、中央と地方の関係のいちばん象徴的な問題。福島をどう捉えるかと地方がどうなっているかとは全部同じ(問題)だと思う」と指摘した。

 遠藤自身の原発への態度は、事故を受けて作られた「原発ブルース」の歌詞や、「お墓に避難します」と書き残し自殺した老人について語る場面でわかるが、遠藤は「自分の考えを出すのは当然じゃないですか。どういう考えでもいい。『原発に反対だ』と言おうが『原発を肯定する』と言おうが、表明すること自体に意味があると思う」と補足する。

 3月11日で震災から5年。遠藤は福島の現状を「何も解決していないのに、矛盾しているところは隠ぺいされ、忘れられている。福島のことなんかなかったようにされている」と、厳しく語った。

【左】【上】インタビューに答える遠藤ミチロウ=東京・新宿のK’s cinema 

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