瑛太ショック…父が首つり自殺 店の屋号も息子の名から取る仲良し親子
【2011年2月19日付デイリースポーツ紙面より】
人気俳優・瑛太(28)と永山絢斗(ながやま・けんと)(21)兄弟の父で、焼き肉店を経営している永山博文さん(55)が16日に都内の自宅マンションで首をつって死亡していたことが18日、分かった。警視庁高島平署は自殺とみている。自宅には「喪主は瑛太で。迷惑かけてごめん」とノートに書き置きがあったという。映画の地方ロケをしていた瑛太は父と対面するため、18日夜、急きょ帰京。絢斗も都内で行われた日本アカデミー賞の授賞式を途中退席した。
高島平署によると、博文さんは、16日午後7時すぎ、東京・板橋区の自宅マンションで首をつっている状態で、博文さんの姉(57)に発見された。すぐに119番し、病院に搬送されたが、約1時間半後に死亡が確認された。警視庁は死亡した状況から、首つり自殺と見ている。
室内からは仕事や健康面の悩みが書かれたメモが見つかった。日本テレビやフジテレビの報道によると、「喪主は瑛太で。迷惑かけてごめん」と書き置きされたノートが残されていたという。
博文さんは、瑛太、絢斗兄弟とは地元近くの居酒屋などを一緒にはしごするなど、近所では仲良し親子として有名だった。09年秋に自宅近くで焼き肉店「瑛斗弥(えどや)」をオープン。長兄・竜弥さんと3人の息子の名前を一字ずつ取って店名にするほど、役者として活躍する子どもたちが何よりの自慢だった。
しかし、最近は客の入りが悪かったようで、近所の住民によると、博文さんが「店をやめなきゃいけないかな」と悩んでいる様子だったという。また首のヘルニアを患い、不眠気味だったという。フジテレビによると、博文さんは姉に「経営する店がうまくいっていなかった」「頸椎(けいつい)手術の経過があまり良くなかった」などと話していたという。
絢斗はこの日、東京・品川のホテルで日本アカデミー賞授賞式に出席したものの、式典を約20分残し、途中退席。主催者には「(本人の)希望で」とだけ伝えられていた。新人賞を受賞し、「すてきな賞をいただいて作品に関わったみなさんに感謝したい」とコメントしたが、笑顔はなかった。
瑛太は映画の撮影のため地方にいたが、スケジュールを調整して18日夜に、急きょ帰京。現場では悲しみをこらえ、撮影に集中していたという。18日夜には、板橋区の斎場で通夜が営まれたもようで、瑛太らが、最愛の父と悲しみの対面を果たしたと思われる。
焼き肉店を経営する博文さんは、俳優の息子たちに負けず劣らずのハンサムで、ナイスミドルとして地元では評判だった。酒を飲むとよくうれしそうに瑛太の話をしていたという。「瑛斗弥」の常連で、博文さんと同じマンションに住む男性は「1週間ぐらい前に店に行ったが、変わった感じはなかった…」と突然の訃報にショックを受けている様子だった。
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人気俳優・瑛太(28)と永山絢斗(ながやま・けんと)(21)兄弟の父で、焼き肉店を経営している永山博文さん(55)が16日に都内の自宅マンションで首をつって死亡していたことが18日、分かった。警視庁高島平署は自殺とみている。自宅には「喪主は瑛太で。迷惑かけてごめん」とノートに書き置きがあったという。映画の地方ロケをしていた瑛太は父と対面するため、18日夜、急きょ帰京。絢斗も都内で行われた日本アカデミー賞の授賞式を途中退席した。
高島平署によると、博文さんは、16日午後7時すぎ、東京・板橋区の自宅マンションで首をつっている状態で、博文さんの姉(57)に発見された。すぐに119番し、病院に搬送されたが、約1時間半後に死亡が確認された。警視庁は死亡した状況から、首つり自殺と見ている。
室内からは仕事や健康面の悩みが書かれたメモが見つかった。日本テレビやフジテレビの報道によると、「喪主は瑛太で。迷惑かけてごめん」と書き置きされたノートが残されていたという。
博文さんは、瑛太、絢斗兄弟とは地元近くの居酒屋などを一緒にはしごするなど、近所では仲良し親子として有名だった。09年秋に自宅近くで焼き肉店「瑛斗弥(えどや)」をオープン。長兄・竜弥さんと3人の息子の名前を一字ずつ取って店名にするほど、役者として活躍する子どもたちが何よりの自慢だった。
しかし、最近は客の入りが悪かったようで、近所の住民によると、博文さんが「店をやめなきゃいけないかな」と悩んでいる様子だったという。また首のヘルニアを患い、不眠気味だったという。フジテレビによると、博文さんは姉に「経営する店がうまくいっていなかった」「頸椎(けいつい)手術の経過があまり良くなかった」などと話していたという。
絢斗はこの日、東京・品川のホテルで日本アカデミー賞授賞式に出席したものの、式典を約20分残し、途中退席。主催者には「(本人の)希望で」とだけ伝えられていた。新人賞を受賞し、「すてきな賞をいただいて作品に関わったみなさんに感謝したい」とコメントしたが、笑顔はなかった。
瑛太は映画の撮影のため地方にいたが、スケジュールを調整して18日夜に、急きょ帰京。現場では悲しみをこらえ、撮影に集中していたという。18日夜には、板橋区の斎場で通夜が営まれたもようで、瑛太らが、最愛の父と悲しみの対面を果たしたと思われる。
焼き肉店を経営する博文さんは、俳優の息子たちに負けず劣らずのハンサムで、ナイスミドルとして地元では評判だった。酒を飲むとよくうれしそうに瑛太の話をしていたという。「瑛斗弥」の常連で、博文さんと同じマンションに住む男性は「1週間ぐらい前に店に行ったが、変わった感じはなかった…」と突然の訃報にショックを受けている様子だった。