レッド・ホット・チリ・ペッパーズの元ドラマー死去 63歳

 デッド・ケネディーズのドラマーでレッド・ホット・チリ・ペッパーズに所属していたこともあるD.H.ペリグロさんが死去した。63歳だった。

 ロサンゼルスの自宅で転倒し頭を打ち28日に死去、その翌日にデッド・ケネディーズから訃報が発表されたかたちだ。

 1988年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズに短期間所属後、デッド・ケネディーズに参加したD.H.ペリグロさん。声明には「デッド・ケネディーズのドラマー、D.H.ペリグロ(ダレン・ヘンリー)が昨日、10月28日にロサンゼルスの家で旅立ちました。不慮の事故による頭部外傷での死亡です。葬儀は未定ですが近日中に発表される予定です。皆様のお気持ちと慰めの言葉に感謝しています」と綴られている。

 1981年にデッド・ケネディーズのオリジナルドラマーの後釜を務めることになったD.H.ペリグロさんは同バンドが1986年に解散するまで所属。その2年後には当時ドラマーだったジャック・アイアンズの代わりとしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズに参加、4枚目のアルバム『母乳』では曲作りに貢献するも、ステージに上がることはなく、1988年11月に解雇。現ドラマーのチャド・スミスが加入することとなる。

 ザ・へレーションズ、ジャングル・スタッズ、ネイルボム、ザ・フィーダーズ、ロックアップ、ザ・トゥー・フリー・ストゥージズ、リバーエンド・ジョーンズ、SSIといったバンドで活躍。自身が結成したバンド、ペリグロでは3枚のアルバムをリリースしている。

 レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト、フリーはインスタグラムで「俺の親友、兄弟、いなくなって寂しい。今日は絶望的な気持ちだ。涙が止まらない。残りの人生、全ての思い出を大切にしていくよ」と追悼。

 「デッド・ケネディーズでお前がプレイしているのを最初に見たのは1981年で、たまげたよ。そのパワー、魂、無謀さにね。そして俺の親友になった。あまりに多くの思い出がある。支え合いながら本当に楽しみや喜びを分かち合った」と当時を振り返った。

 また、「心から愛している。真のロッカーだ。そしてRHCPの歴史の欠かせない一部だよ。DHPは俺たちの心に永遠に生き続ける。向こう見ずで、楽しく、デカい心を持った野郎。お前にこれからも敬意を表するよ。ゆっくり休んで、自分を縛っていた全てのものからの自由になってくれ」と綴った。

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