フォークポップのレジェンドが死去 84歳 重度のアルコール依存症 過去には胃の動脈破裂で昏睡状態も
フォークポップの代表的ミュージシャン、ゴードン・ライトフットが死去した。84歳だった。
カナダ人アーティストで、『イフ・ユー・クッド・リード・マイ・マインド』『ザ・レック・オブ・ジ・エドモンド・フィッツジェラルド』といったヒット曲で知られるゴードンが1日夜、トロントの病院で亡くなったことを、本人の広報担当者ヴィクトリア・ロード氏が発表した。
最近、健康悪化を理由にツアーを3週間早めて終了していたゴードンだが、死因については公表されていない。ちなみにゴードンはベル麻痺を患った過去があり、2002年には胃の動脈が破裂し昏睡状態に陥っていた。
1960年、70年代のフォークポップのパイオニアだったゴードン、その音楽はボブ・ディランら大物ミュージシャンらに愛され、エルヴィス・プレスリー、バーブラ・ストライサンド、ジョニー・キャッシュ、更にパンク・ロッカーのジェーンズ・アディクションといった畑違いのアーティストにもカバーされた。
そんなゴードンを同じカナダ人のブライアン・アダムスはインスタグラムでこう追悼している。「これを書くのは辛い。自分が若い頃憧れていた人間とその後一緒に仕事をしたり、つるんだりすることになるのは本当に稀なことだ。ゴードンを自分の友達と言える私は幸運だった。彼が亡くなって落胆している。彼は世界を良くしてくれた。全てのカナダ人を代表して私は話している。その楽曲に感謝しているよ、ゴードン・ライトフット。その素敵なソングライティングの心に祝福を。友よ、ゆっくり休んでくれ」
一方、ボブ・ディランは以前ゴードンの曲についてこう話していた。「ゴードン・ライトフットの曲で、好きじゃないものは思いつかない。彼の曲を聴く度に永遠に続いて欲しいと思うんだ。ライトフットはずっとメンターだった。今でも多分そうだろう」
ゴードンは教会の聖歌隊としてキャリアをスタートしその後ジャズに転身、音楽の勉強のためハリウッドに移ったものの、自分の場所ではないと悟り帰郷、地元でいくつかのライブをした後、カナダで初のヒット曲『アイム・ノット・セイン』をリリースした。
通算5回のグラミー賞、17回のカナダ版グラミー賞のジュノー賞を獲得したゴードン、1986年にはロックの殿堂入りも果たしている。
一方1986年にゴードンは前年にホイットニー・ヒューストンがカバーしたジョージ・ベンソンの『ザ・グレイテスト・ラブ・オブ・オール』について自身の『イフ・ユー・クッド・リード・マイ・マインド』からの盗作だとして、ホイットニーのプロデューサーと作曲家を提訴、その後ホイットニーの健康を気遣い訴えを却下していた。
3度結婚し6人の子供をもうけたゴードンだが、自身の浮気については、ツアー生活を強いられるため、関係を保つのが難しいと明かしていた。また重度のアルコール依存症を患っていもいた。