「レジェンド」バンドのフロントマンが65歳で死去 脳の損傷で治療を受けるも
英バンド、ザ・ポーグスのシェイン・マガウアンが死去した。65歳だった。クリスマスソング「ニューヨークの夢」で知られる同バンドのフロントマンを務めたシェインの訃報を妻のヴィクトリア・メアリー・クラークが発表、「シェインはこれからもずっと私の前を照らす光であり、私の夢を測り、私の最愛の人であり続けることでしょう」と綴っている。
1週間前に数か月の集中治療を終え退院したばかりだったシェイン、当時ヴィクトリアは笑顔の夫の写真をXに掲載、こうキャプションを添えていた。「シェインが退院!セント・ヴィンセント病院の全ての医師、看護師、スタッフに深く、永遠に感謝します!」。
昨年、脳の損傷と重度の合併症を引き起こす可能性のあるウィルス性脳炎と診断され、アイルランド、ダブリンのセント・ヴィンセント病院で治療を受けていたシェイン、他にも転倒による骨盤骨折とその後の膝損傷を受け2015年からは車いすを使用していた。
音楽活動ではパンクバンド、ザ・ニップル・エレクターズ(後にザ・ニップスに改名)を結成、ポール・ウェラーをプロデューサーに迎えてデモ曲を制作、その後1980年代にジョン・ハスラーと共に同バンドを脱退、ザ・ミルウォール・チェーンソーズのメンバーらを迎えポーグ・マホーンを結成、ザ・ポーグスと名前を変え、1984年デビューアルバム「赤い薔薇を僕に」を発表、音楽ファンから絶賛を受けた。
しかし5番目のアルバム「ヘルズ・ディッチ」を最後に1991年、シェインは、日本ツアーのコンサートに現れなかったこともあり、同バンドをクビにされる。
その後シェインは、シェイン・マガウアン&ザ・ポープスを結成し活躍、一方でザ・ポーグスの2001年の再結成に参加し同バンドは2014年まで続いた。
シェインの最後の作品はザ・ポープスとの1997年リリースの『ザ・クロック・オブ・ゴールド』だが、2015年からアイルランドのバンド、クローニンと新作を制作してもいた。
また医療費のためにシェインのアートブック「ジ・エターナル・バズ・アンド・ザ・クロック・オブ・ゴールド」が1000ポンド(約19万円)で出版されてもいた。
シェインの訃報には多くの著名人がコメントを寄せており、ニック・ケイヴは「真の友人で世代を代表する最も偉大なソングライターだった。とても悲しい1日だ」と、ホット・チップのアレクシス・テイラーはザ・ポーグスの「レイニー・ナイト・イン・ソーホー」の歌詞をインスタグラムにシェア、「彼の音楽とソングライティングが本当に大好きだった。何年にも渡り僕にとって大きな意味を持っている」と故人を偲んだ。
一方同郷の女優シヴォーン・マクスウィーニーは「私たちアイルランド人のロンドン代表だった」としてシェインを称賛、英テレビ司会者のピアース・モーガンは「ニューヨークの夢」を今年のクリスマスのナンバーワンソングにしようと呼び掛けた。
さらに元セックス・ピストルズのグレン・マトロックはシェインを「レジェンド」と称え、DJアニー・マックはシェインの音楽が自分にとってどれだけ重要なものかをインスタグラムに綴りその死を惜しんでいる。