女性フォークミュージシャン76歳で死去 死因不明も長く闘病生活 最近まで新作アルバム制作

 米シンガーソングライターのメラニー・ソフィカが死去した。76歳だった。

 『心の扉をあけよう』やザ・ローリング・ストーンズのカバー『ルビー・チューズデイ』で知られるフォークミュージシャンのメラニーが23日、安らかに永眠したことを遺族が報告している。

 メラニーの3人の子供たちはこの悲しいニュースを24日、フェイスブックで発表、死因は明かされていないものの、メラニーの広報からの別の発表によると、本人は闘病生活を送っていたという。

 メラニーの子供達による「レイラ、ジョージア、ボー・ジャレッドからのメッセージ」は、こう綴られている。「これは、私たちにとって最も辛い投稿になります。たくさん言いたいことがありますが、まず初めに。これを容易く言う術はありません。母親が旅立ちました。2024年1月23日、この世界から別の世界へ安らかに」

 「世界は明るさを失い、彼女の不在の中、今日のテネシーは暗鬱で雨が降っています。しかし彼女はまだここにいます。星から笑顔で私たち、皆さん全員を見てくれています」「母親の人生を祝福するイベントを企画しています。希望者は誰でも参加できるものです。詳細は決まり次第お知らせします。皆さんに会えるのを楽しみにしています」

 最近までカバー曲を集めた新作アルバムを制作していたメラニー、『セカンド・ハンド・スモーク』というタイトルが付けられていたそのアルバムは、32番目の作品となる予定だった。

 1969年、メラニーは22歳の時にウッドストック・フェスティバルでパフォーマンスを披露、当時同イベントにはジョーン・バエズ、ジミ・ヘンドリックス、グレイトフル・デッドも出演しており、メラニーはステージに上がるまでの数時間不安に苛まれていたことを後に振り返っていた。

 1947年2月3日にニューヨークのアストリアで誕生したメラニーは、演劇学校で学びながら歌手としてのキャリアを積み、同市のフォークシーンが隆盛を極める中、グリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウスやフォーククラブでライブを重ね、1967年に未来のマネージャー、プロデューサー、そして夫となるピーター・シェーケリクと出会う。その後コロンビア・レコードと契約しシングル『ビューティフル・ピープル』『ガーデン・イン・ザ・シティ』をリリースしたがアルバム制作を断られ、ブッダ・レコードに移籍しデビューアルバム『ボーン・トゥ・ビー』を発表、『レイ・ダウン』が最初のアメリカでのヒット曲となり、以降『ピース・ウィル・カム』『ホワット・ハヴ・ゼイ・ダン・トゥ・マイ・ソング・マ』『ザ・ニッケル・ソング』といったシングルをリリースした。

 1971年にはビルボードから、同年アメリカで最も売れた女性アーティストとして表彰されたメラニー、ユニセフのスポークスパーソンに就任する中、2010年に夫ピーターが亡くなるまでアルバムを作り続けた。また、自分の子供たちと共にオンラインライブを頻繁に配信してもいた。

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