災い転じて大ブームに 事故が変身ポーズを生んだ
仮面ライダー放送開始前の撮影中、私はバイク事故で左足に重傷を負い、復帰も困難という窮地に直面しました。その時、入院した病院のお医者さんが「これしかない」という、ベトナム戦争で開発された医療技術を試してくださったのです。
腰に穴を空け、大腿骨の中に鉄芯を通しました。筋肉に突き刺さっている骨の破片をピンセットで一つずつ取り出し、骨の周囲に貼り付けて針金で巻いて補強。そして、また縫合していって。その後、この鉄棒を抜くのが激痛で大変でした。
撮影中の9~10話は3分の2ほど撮っていたので私の姿は映っていますが、アフレコをできず、声は吹き替えです。私が不在の11~13話は本郷猛がバイクで走る保存映像を使い、ライダーに変身後のシーンを増やした。それまでは私がライダーの中に入って、スタントマンも使わず、高いところから飛び降りていたわけですが、この時は別のスーツアクターが中に入って急場をしのいだわけです。
大事故については箝口令が敷かれましてね。病院も情報を遮断してマスコミから私を隠してくれた。放送開始前に公になると番組もダメージを受けますから。結局、「藤岡弘は負傷により…」というテロップを流すことなく、13話をもって「ショッカーを倒すためヨーロッパに行った」という設定で、いったん姿を消します。当時の子供たちもそれを信じていたわけですから、うまい展開を考えたもんだなと思います。
そこで後任となる仮面ライダー2号の一文字隼人として登場したのが佐々木剛君。劇団NLT養成所の同期で、私の身代わりを引き受けてくれた。「変身ポーズ」もそこから始まったんですよ。
私がやっていた初期のライダーはバイクで走りながら風速でベルトの風車が回って変身する設定でしたが、佐々木君は二輪の免許を持っていなかった。それで仕方なく変身ポーズを作ると、それが社会現象的な大ブームになりました。ある意味「災い転じて福となる」だったわけです。
追い詰められた中から、わき出たアイデアがかえって的(まと)を射たという不思議な現象。日本全国で子どもたちが変身ポーズをして、ライダースナックのカードを集めていた時代、その背景には知られざる私の大事故があったのでした。