ハリウッドで“サムライ・ヒロシ”と呼ばれた私
昨年、私はNHK大河ドラマ「真田丸」で本田忠勝を演じたわけですが、実は“演じていない”のです。自分の内面から出てくるものをそのまま表現するだけなので、不安も迷いも何もなかった。本物に近い鎧(よろい)と鉄身の刀、馬に乗って精神も侍に同化した。俳優である以前に、父から侍道を体に詰め込まれた私には、それが当たり前なのです。
私にとって初のハリウッド主演作となった「SFソードキル」(1984年)で、そのことを実感しました。400年前に氷漬けになった日本の侍が現代のロサンゼルスでよみがえるという設定ですが、撮影で渡米して台本を読むと大きな誤解があって、私は「それは違う」と本当の侍像を伝えた。欧米人の侍に対する何の根拠もない思い込みとの闘いでした。あれからハリウッドで侍を見る目が変わったのではないかと思います。そして、私も海外では“サムライ・ヒロシ”と呼ばれるようになりました。
日本の侍魂は国際的にも注目を浴びています。世界情勢が論理や合理性だけでは解決できなくなっている中、侍の潔さ、決断、迷いのない生き方が必要とされている。映画「スターウォーズ」も侍の精神性がブレンドされていて、ジェダイはまさに侍なんですよ。
そして、日本人の持つ惻隠(そくいん)の情、慈悲の心が今や世界的に注目されている。それがなければ、未来に争いは尽きないと。テロの問題でも容赦ないじゃないですか。桜がひらりと落ちるのを見て哀れみの心で涙を流すなんてことは、世界で他にない。同じ花でも西洋人の場合はバラで、強烈なにおいとトゲがある。枯れても落ちない。民族性の違いでしょうか。
侍の鎧について、海外で「何であんなに着飾るんだ」と聞かれます。欧米人は合理的に弾をよければいいと考えますが、日本人は違う。贅(ぜい)を尽くし、芸術的にも極地に達した、鎧とは最期の覚悟をした死に装束なのです。死に向かう覚悟を決めた、最後の精一杯の装いなんだと。次なる者のために己が犠牲となり、次代の土台になる。自己犠牲の覚悟を持った装いだと説明すると外国では驚かれます。「真田丸」で話題になった私の鎧にも、そんな思いが込められていたのです。