子どもだけの難民キャンプ、戦場にきれい事はない
世界約100カ国を旅する中(※1)、難民キャンプで悲惨な修羅場をくぐりますと、生きるということはどういうことかと胸に突きつけられました。キャンプにいる人は奇跡的に運の良かった人たちで、そこにたどり着けずに、どれだけ多くの人が途中で亡くなったかを実感しました。
コソボ難民キャンプ(※2)では、子どもしかいなくてびっくりしました。なぜ子どもしかいないのかと思ったら、その親たちが虐殺されていたんですよ。奇跡のごとく生き残った子どもたちが血まみれになって、親たちの死骸の山からはい出して逃げてきた。親は本能的に小さな子どもや赤ん坊を体の下に隠して死んでいった。
不思議なもので、そんな最悪の状況の中でも必ず奇跡のように1人か2人は生きている。天が「種」を残そうとしたのですかね。
戦場なんて、きれいごとはないです。容赦ないですから。話し合いなんてない。スキあらば銃でタタタタッと相手を殲滅(せんめつ)する。死人に口なしで、殲滅して口を封印すれば証拠が残らないから。それが戦場です。悲惨なものです。その現実を目の当たりにしていると、いくら「戦争反対」なんて旗を立てても、それは“砂上の楼閣”だとしか思えなくなります。
そういう修羅場を見てくると人生感や価値観が変わります。不平不満なんて出てこなくなる。生きていること、存在していること、それだけで感謝すべき喜びだと。難民キャンプに行くと、皆さん何も持ってないんですよ。赤ちゃんを抱いたり、背負っているだけ。でも、この子どもたちが財産なんですよね。これが人間の本質なんだなと。追い詰められたらこうなるんだなと。何もいらない。生きることが大事と思い知らされましたね。
そんな経験が血となり肉となり骨となって魂にまで響いた。それが私の財産であり、エネルギーですね。俳優だけの世界では、ここまでの自分の思いはなかったと思います。
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※1 戦火のイラク、ヨルダン、イスラエルなど中東地域、飢餓に苦しむスーダンや北朝鮮、エボラ出血熱など病と戦うガーナやギニア、民間外交でバングラデシュ、ロシア(サハリン、北方四島)、ブラジルなど訪問。
※2 99年5月、藤岡はユーゴスラビアからトルコに流出したコソボやセルビアの難民キャンプに義援物資搬入などを行った。