【大橋未歩アナ】走り高跳び鈴木選手 6回目の大舞台も上へ上へ
「大橋未歩のたまたまオリパラ!」
2000年シドニーパラリンピックから出場し続け、東京大会で6回目のパラリンピックとなる走り高跳び日本代表・鈴木徹(すずき・とおる)選手。スポーツ選手になると堅く心に決めた理由に2つの病気があった。1つは徐脈性不整脈。脈拍数が通常より少なく、子供の頃は激しい運動は禁じられた。それが逆にスポーツへの想いを駆り立てた。
そしてもう1つが吃音症だ。幼少期に妹が川で溺れかけた際、助けを呼びたいのにショックから言葉が出なかったことがきっかけだった。話し方を真似するいじめっ子もいて、一時期「話すのをやめた」という。しかし天性の運動能力が光となった。「スポーツで活躍すると、不思議といじめてくる子も褒めてくれたんですよね」。鈴木選手にとって、スポーツとは自分の存在そのものだった。
ジャンプ力が武器の鈴木選手はハンドボールで国体3位になり、スポーツ推薦による大学入学が決まっていた矢先に交通事故で右足の膝下から切断。「足を残すか命を残すかの決断だったので迷いはなかった」。しかし、いざ義足を使ってみると立つだけで精一杯。でもスポーツを諦めるという選択肢はなかった。
松葉杖をつきながら歩行訓練を重ね走れるようにもなったが、ハンドボールの第一線に戻るには速さが足りない。模索していた時に出会ったのが、走り高跳びだ。試しに跳んでみたその日にパラ日本記録超え。その年にはシドニー大会に日本代表として出場した。
大会ごとに順位を上げ、自己ベスト2メートル02を跳んだ直後の2016年リオ大会。普通に跳べば悲願のメダル。しかし重圧をコントロールできなかった。結果は4位。「終わった日から夜になると涙が勝手に出てくる。夜が怖かったですね」
4年後、代表に内定していた東京大会は延期された。できた時間で子供とバスケットボールをしていた時、助走から踏切りへのリズムのヒントを得たと言う。「自分のジャンプを再発見できた」と前向きだ。
どんな時も上へ上へ、鈴木選手は、跳ぶ。
◆大橋未歩(おおはし・みほ)1978年8月15日、神戸市出身。フリーアナウンサー。2002年入社のテレビ東京時代にアテネ、北京、ロンドン五輪を取材。18年にパラ卓球アンバサダー就任。19年から「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」メンバー、パラ応援大使でも活躍。