【大橋未歩アナ】経験を全て糧に変換する中西麻耶選手に共感!

 「大橋未歩のたまたまオリパラ!」

 私は34歳の時に脳梗塞になり、脳卒中関連の仕事が舞い込むようになった。積極的だった私に投げられた忘れられない言葉がある。「大橋は脳梗塞を売り物にするの?脳梗塞でお金を稼いで罪悪感はないの?」。耳を疑った。私だって好きで脳梗塞になったわけじゃない。でもなったものはしょうがないから、この経験を武器ととらえて生きるしかないじゃないか!だからこそ彼女に話を聞いてみたかった。

 東京パラリンピックに内定している女子走り幅跳び代表の中西麻耶(なかにし・まや)選手は、12年のロンドン大会を前に活動資金を得るため、義足姿のセミヌードカレンダーを発売。「障害を売り物にしている」。激しいバッシングを浴びた。

 中西選手は、環境に合わせて目標を下げるという選択肢を人生に持ち合わせていない。インターハイに出たいと思ったら一直線、地元大分県の強豪明豊高校テニス部の監督に手紙を書き、前例のないトライアウト形式で入部。残念ながらインターハイ出場を逃し、働きながら再度目指すも、仕事中に事故に遭う。建設現場の事務員だったが、男性作業員の遅刻をカバーしようと現場に出るようになった。その際、鉄骨が右足を直撃。しかし中西選手は救急車の中で既にプランを立てていたという。まず医師に聞いたのは「切断をして、最短どれくらいでスポーツに復帰できますか?」。

 2008年に出場した北京大会で周囲のオーラに圧倒され、武者修行のため単身渡米。ボルト出現でジャマイカに負けたアメリカは変革期にあり、代表練習で海外の選手を積極的に受け入れていた。その時に出会ったのが、あのジョイナー選手の夫、アル・ジョイナー・コーチ(ロス五輪三段跳び金メダリスト)。ジョイナー・コーチに背中を押されて主戦場は走り幅跳びへ。スポンサー集めや立ち居振る舞いなど、プロして人としての生き方を教えられた。19年には走り幅跳びで初の世界女王となって東京パラに内定。

 身に起きたことを全て糧に変換して、何が悪い。それが生きるってことじゃないか。

 大橋未歩(おおはし・みほ)1978年8月15日、神戸市出身。フリーアナウンサー。2002年入社のテレビ東京時代にアテネ、北京、ロンドン五輪を取材。18年にパラ卓球アンバサダー就任。19年から「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」メンバー、パラ応援大使でも活躍。

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