【大橋未歩アナ】北京パラ柔道代表 初瀬勇輔さん 開会式で得た誇り「生きてていいんだ」

 「大橋未歩のたまたまオリパラ!」

 パラリンピックの開会式。日本代表としてスタジアムを歩いている時、彼は思った。

 「僕は生きてていいんだ」

 2008年北京パラリンピック柔道日本代表・初瀬勇輔(はつせ・ゆうすけ)さんは学生時代、柔道に励むかたわら弁護士を目指し勉強に励んでいたが、19歳の時、右目が見えにくくなっていることに気付いた。緑内障だった。大学2年の時に左目も発症し、視野の大部分を失った。文字を読んだり人の顔を判断するのが難しくなり、失意に陥った。「どこに行くにも付き添いが必要だし、すみませんの繰り返しだった」

 何か自分にできるものはないものかと模索する中で視覚障害者柔道と出会う。畳の上にあったのは『自由』だった。それまで無力感に支配されていたが「柔道をやると投げることができた。自分がいていい場所があるんだと思えた」。初瀬さんの顔がほころぶ。

 視覚障害者柔道のルールで特徴的なのは、組んでから始まること。組手争いがない分、残り1秒からでも技をかけられるスリリングな競技だ。組みさえすれば、目が見える人と、目が見えない人、同じことができるのが魅力だと初瀬さんは話す。

 めきめきと頭角を現し、2008年柔道90キロ級日本代表として北京パラリンピックに出場。忘れられないのが開会式だ。光のシャワーを浴びながら、拍手の海を歩いている感覚。改めてすごい大会に出ていることを実感し、内なる誇りが湧き起こった。「生きていていいんだ。色々なことに挑戦していいんだ。目の障害も悪くなかったんじゃないかと思うきっかけになった」。障害を受容する上で、とても大きな経験だったという。

 現在は、障害者雇用のマッチングをする会社「ユニバーサルスタイル」代表として経営者の顔も持つ。以前から、通勤やトイレ介助が社内で困難な場合に、リモートワークは雇用を促進すると言われていた。皮肉にも、コロナによって実現性が高まる。「悪い面ばかりではなく、おかげでと言えるように逆転の発想が出来たら」と初瀬さん。

 東京オリンピック・パラリンピックの在り方が議論される今、初瀬さんの人生は私たちにさまざまな問いかけをする。

 ◆大橋未歩(おおはし・みほ)1978年8月15日、神戸市出身。フリーアナウンサー。2002年入社のテレビ東京時代にアテネ、北京、ロンドン五輪を取材。18年にパラ卓球アンバサダー就任。19年から「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」メンバー、パラ応援大使でも活躍。

 

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