悪ガキが遠藤実先生に師事してデビュー55年
デイリースポーツ読者の皆様、橋幸夫です。このたび、連載を担当させていただくことになりました。よろしくお願いします。
私ごとですが、今年はデビュー55周年の記念イヤーです。長かった、早かったというより、まず1960年のデビューから50年以上も歌っていることが、信じられないのです。
実は、歌手にはなりたくてなった訳ではないのですよ。もっと言えば、全然なるつもりはなかったのです。
中学生の時、兄(※橋は9人兄弟の末っ子)の影響で空手とか柔道を習っていたのです。当時は学校対抗でケンカが日常茶飯事。僕は学校で番長補佐的な立場。子供ながらに学校の看板のため!と正義感をみなぎらせていたのです(笑)。
そんな悪ガキでしたから、母が心配して、作曲家・遠藤実先生の歌謡教室に入れられたのです。当時、実家は東京・中野で呉服屋を営んでいました。学校が終わり帰宅すると、店を仕切っていた兄が、オートバイの後部座席に僕を乗せて歌謡教室のある西荻窪まで送迎。だから、サボることなんてできない。嫌々ながら一度も休むことなく通いました。
本当は、建築の設計士になりたかったのです。その方面の学校に進学したかったのですが…。運よく3年間で歌謡教室の予科、本科、研究科と進んで、無事デビューに至りました。おふくろが敷いたレールに乗ってデビューとなったのです。
それから55年です。
実は40年ほど前、運命学を習っている先生に「私は何歳まで歌手をやっていますかね」と質問しました。その答えが「還暦まで歌っていたら、そのままいっちゃうね」というものでした。今、73歳です。何か、その通りになっています。うれしい限りです。
次回以降は、この55年の間にお世話になった方、共演した方のお話をエピソードを交え紹介していければと思います。お楽しみに。
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橋幸夫(はし・ゆきお)1943年5月3日生まれ、東京都荒川区出身。本名・橋幸男。60年7月に「潮来笠」で歌手デビュー。60年代は舟木一夫、西郷輝彦と御三家として人気を博す。62年に「いつでも夢を」、66年に「霧氷」で日本レコード大賞を受賞。紅白歌合戦には17年連続を含む19回出場。趣味はスポーツ(ゴルフ、野球、テニス、柔道、空手、ボクシング)。