デビュー前に移籍~遠藤実先生の思いと専属制度の壁

 母親の敷いたレールに乗って遠藤実先生の歌謡教室に通い、3年で「いよいよ歌手デビュー」となりました。ですが、そこでいきなり、岐路が待ち受けていたのです。

 デビュー前に“移籍”を経験したのです。

 当時、レコード会社には専属制度が敷かれていた。映画の世界で、東映や東宝、松竹などの所属俳優が他社の映画に出られなかったように、レコード会社も作家や歌手は専属となり、他社の仕事はできなかったのです。

 遠藤先生は、日本コロムビアの専属作家でした。遠藤門下生の僕は、筋でいけばコロムビアからデビューするのが流れ。なので、まずコロムビアに連れていかれました。

 そこで非公式のオーディションが行われ、村田英雄さんの「人生劇場」と「蟹工船」を歌いました。でも「まだ16歳。若すぎる」と断られてしまったのです。遠藤先生は相当、怒ってしまいました。それでも僕を何とかデビューさせたいと、知り合いの新聞記者からビクターが毎月オーディションをやっていることを聞き出し、僕と一緒にビクターに乗り込んでくれたのです。コロムビアの専属作家がライバル会社のビクターに行くなんて、初めてのことでした。

 それでも遠藤先生は直々に頭を下げてくれて。僕のオーディションでは、ビクターのスタジオで自らピアノを弾いてくれて。それで僕が歌った。当時、ビクターに演歌系がいなかったこともあり「16歳。面白いね。うちで引き受けましょう」と合格しました。

 ただ、ここでも専属制度という壁がありました。ビクターからのデビューが決まったからには、コロムビア専属の遠藤先生の元からは離れなければなりません。今後はビクターの専属作家・吉田正さんの門下生として勉強することになりました。僕が吉田先生にあいさつへ出向く日、遠藤先生がわざわざ同行してくれました。

 日本の音楽史に残る名曲を生み出してきた吉田&遠藤両先生ですが、実はこの時が初対面。すんなり、門下生の“移籍”は決まりました。

 でも送り出す遠藤先生は残念そうでした。「息子を養子に出す感じ。育てて書きたいのに書けない」と嘆いてました。実際に遠藤先生の楽曲を歌うのは、デビューから10年以上も後になりました。

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