僕は「舟木一夫」になるかもしれなかったんです!
レコード会社の専属制度により、遠藤実先生から旅立ち、吉田正先生の元で勉強しながらデビューが決まりました。1960年です。
ですが、そこで決めなければならない、大事なことがありました。名前。芸名です。
実はこの時、僕が御三家の一人「舟木一夫」の名前になる可能性があったのです。
デビューに際しては、遠藤先生が自分の元を離れる僕に「芸名はオレが考えるよ」と言ってくれました。それで「こういうのはどうか?」と持ってきてくれたのが「舟木一夫」という名前でした。
遠藤先生は「字画もいいし、縦に読んでもまっすぐに割れるだろう」などと思いを説明してくれました。でもその時は、すでに吉田先生の元に修業に通ってまして。そのため吉田先生の元へ行き「遠藤先生が僕の芸名を考えてくれました」と「舟木一夫」と書かれた紙を提出しました。
「“舟木一夫”か。なるほど。悪くないな」と吉田先生。
このまま決まるのか!でも直後に「だけど本名の橋幸男もなかなかいいのではないか」と、新たな提案をしていただきました。「君もいずれ結婚したら夫になるわけだから。“幸男”の“男”だけ“夫”に替えよう。橋幸夫がいいな」とも。
その時は吉田先生の元からデビューすることになっていたので、吉田先生の意見で決まるのは、当然の流れです。こうして、橋幸夫の芸名が決まり「舟木一夫」は幻になりました。
遠藤先生にも、この経緯は報告しました。「この名前はオレが握りつぶすよ」と言ってくれました。でも育てた弟子の曲も書けず名付け親にもなれず、さみしそうでしたね。
でも、それから3年後の1963年。驚きました。
たまたまラジオで「高校三年生」を聴き、「ただいまの歌は、コロムビアから新人歌手としてデビューしました舟木一夫さんでした」のアナウンス。
「聞いたことある名前だな。ひょっとしてオレにつけようとした名前じゃないか」
実は舟木君も僕の後に遠藤先生のレッスンを受け、デビューしました。デビューに際し、先生が「温めている名前があるよ」と、勧めたこの名前でデビューしたのでした。