みんなマネした「潮来刈り」の時代~2人の師匠
1960年7月5日-。僕は「潮来笠」でデビューしました。デビューの道筋を立ててくれた遠藤実先生は生みの親。そしてデビューから「橋幸夫」を育ててくれたのは吉田正先生です。僕には2人の師匠がいるのです。
この2人の先生と出会えたことは、大きな財産です。2人は似ているところが多かったです。でも音楽に対しての構え方は全然違います。
遠藤先生は、流しが原点の人。自分も歌うのでアーティスティックで芸術肌な人。作曲も「頭に浮かんだ!」と言って、その場で紙に書いてしまうような方でした。
吉田先生はどちらかと言えば理論的な形から入る。ブレーンと話し合い、構想を練って「これだ!」と言ってから作る人でした。
そんな吉田先生ですから、デビューからしばらく、歌以外の全体のプロデュースもしていただきました。デビュー曲の「潮来笠」も、吉田先生が「17歳だし、江戸っ子。呉服屋の息子。巻き舌で“ら行”が面白い、べらんめえ調を生かすには、股旅がいい」と、この歌になったのです。
僕自身は、中学の後半からギターもやっていて。時代はロカビリーが全盛。そっちの路線に行きたかった。股旅でデビューすることは、正直疑問でしたけどね。でも、吉田先生のプロデュース感覚は正しかった。着物を着せて角刈り。意表を突くその姿で世に送り出してくれました。おかげで大ヒットです。「潮来笠」の大ヒットがあって、今の橋幸夫があるわけですからね。
角刈りも当時は“潮来刈り”と言われて。それより前にはやったのが“慎太郎刈り”や“裕次郎刈り”。それに続いての“潮来刈り”。当時は理髪店に行くと、みんな僕と同じ髪形でした(笑)。
それからも、先生が時代の変化を読んで見抜いて、計算ずくで僕をプロデュースしてくれました。股旅ものもずいぶん歌いました。そして青春歌謡、リズム歌謡。世相でいえば、68年のメキシコ五輪前年には「恋のメキシカン・ロック」も作っていただきました。
五輪といえば、8月にリオ五輪が開幕しますね。日本代表の選手の健闘をお祈りします。2020年には東京五輪です。実は64年の東京五輪では、僕も「東京五輪音頭」を歌ってます。そんな思い出も、またお話しできればと思います。