「御三家」で橋幸夫がセンターだったワケ
僕が1960年にデビューして3年後の63年に舟木一夫君が、そしてその翌年の64年に西郷輝彦君がデビューしました。
皆さんご存じの「御三家」です。最初、僕と舟木君だけの時は、何もなかったのですが、西郷君がデビューして、雑誌「平凡」が「3人で対談をやりたい」と企画して。それが「御三家」というタイトルになり、そこから生まれたものだと記憶しています。
この「御三家」の企画の中で、私のマネジャーが奮闘しまして。私が一番先輩ということで「御三家」の名前表記は「橋、舟木、西郷」の順番。さらに3人の写真は、必ず橋が真ん中。それを徹底させていました。その後も「御三家」に関するものはすべてチェックして。雑誌のゲラを見ては、写真の大きさやコラムの行数まで「橋の写真を大きく。橋の原稿を長く」など、1センチ、1行にこだわっていました。
実際に御三家の3人が一緒に活動したのは、年末や正月のテレビの特番や雑誌のグラビアなどだけ。普段はそれぞれで活動し、人気を競っていました。それだけにライバル意識も強かった。歌手同士だけでなく、レコード会社としても若手の看板歌手の争い。競争は激しかったのです。
当時、現場で会っても、我々はほとんど会話はなかったですね。仕事の時の楽屋あいさつだけはきちんとしてましたけど。まあ、今となってはいい思い出。若かったし、お互いに意識過剰な面もあったでしょうね。
そして長い年月を経て、3人が一堂に会する公演が実現しました。99年から2000年にかけ、3人で「G3K(御三家)公演」を全国125カ所で行いました。ファンの方には喜んでいただけたと思います。
今でも「御三家」といえば、この3人として認識していただいています。すごくいいキャッチフレーズだったと思います。