明治男の父・作太郎は「ロッテ歌のアルバム」で僕を認めた
前回の母に続き、今回は父についてお話させてください。
父・橋作太郎は明治29(1896)年7月5日生まれ。まさに「明治男」でした。母・サクより5歳年上。威厳がありました。兄たちには厳しく、よくいい争いやケンカもしていました。末っ子だった僕には、あまり何か言うことはなかったですけど。
そんな僕もデビューが決まり、芸能界入りとなりましたが、父はずっと反対していました。「芸能界はヤクザな世界だ」と言ってね。そんな時に父は心臓を病んで東大病院に入院しました。母が小さなテレビを持って病室へ行きました。スイッチを入れると、当時の人気音楽番組「ロッテ歌のアルバム」が流れて。その日、初めて僕がその番組に出演したのですが、母の粋な計らいで父は病室でその姿を見たのでした。
「なんだ!あれは!」と言った父。でも、息子がテレビの中、華やかな世界で歌っている姿を見て納得してくれたようです。「仕方ないな」と。
それからは父は、ずっと僕の活動を応援してくれました。歌はもちろん、映画の撮影に京都の太秦までファンの方と一緒に来たり。母と老後の楽しみができたようでした。
うれしかった思い出があります。デビュー後、車が好きな僕が、初めて外車を買おうとした時です。ディーラーの方が自宅にシボレー・インパラの中古車を持ってきた。その時父が…。
「これが欲しいのか?欲しいなら買ってやるよ。値段は?」と。70万円と聞くと、引っ込んで現金で70万円を持って、ポンとへそくりから払ってくれた。今のお金で2~300万円ですよ。
普段はそんなことをしない照れ屋な面もある父が、男気を見せてくれたことは、うれしかった。車は大切に乗りました。
そんな父も1976(昭和51)年3月30日、脳出血で死去しました。享年81。ちょうど僕は明治座座長公演の千秋楽。いつも父は初日、中日、千秋楽に見に来ていました。この日も仕事を片付けてから劇場に行こうとしていた。その作業中に倒れたのでした。僕も公演後、病院に駆けつけましたが、父はもう言葉も交わせなかった。そのまま天国へ。本当にさみしかった。