ダウンロードできない「音盤」の奥深さ
前回はナイトクラブの話をしましたが、僕がデビューした頃(1960年)、あの時代はカラオケがなかったですからね。当時のクラブは生バンドでしたよ。それがよかったです。変わっちゃったですね。日本で戦後最大の文化の一つ、それはカラオケでしょう。
カラオケの功罪、それは両方あるんですけど、ちゃんとした「盤」を、昔はレコード、今はCDでいいんですけど、そういうプロが歌っている盤をきちっと収集して、それを大事に扱って、自分の時代と合わせて聴くという習慣がなくなってしまいましたね。今は、何も持たなくても、ダウンロードして音楽が聴けるわけですし、カラオケのお店に行って歌えるわけだし。
昔は買ってきたばかりのレコード盤に針を落とす楽しみがありました。LPとか買ってきて、盤を磨いてからかける。もっと昔は蓄音機ですよね。そういうのってバカにできないすごさがあったんです。「チー」というかすかな音と共に盤が回るというね(笑)。
今は盤がなくても、ダウンロードでしょ。文化が変わるっていうことは悪くはないものの、あんまり急激に変化してるから。これは米国の変化でもあって、米国の先端技術が日本に入ってきている。
一番変わったのは、音楽を「聴く人」たちが少なくなったこと。みんな「歌う人」になっちゃった。これも文化の大きな変化だと思いますね。そうすれば当然、プロの歌手が必要なくなるわけですよ。曲を出しても、それはユーザーが歌うための「サンプルである」みたいな。そこのところが、音楽、歌の世界で変わっちゃったなということですよね。
では、プロに憧れる部分がどこへ行ったのかというと、現代はスポーツに行ったんですよ。プロフェッショナルが全部、スポーツから出てきている。スターもスポーツからですよね。野球をはじめ、サッカーから何からみんなそうじゃないですか。オリンピックを見れば分かるように、そういう「憧れる人」はスポーツ界に行っちゃった時代ですね。
それも悪くはないし、スポーツは文化でもあるわけだけど、音楽の強みとか音楽の奥深さっていうのを、もう一度、「詞」が持つ言葉の奥深さと一緒に、日本人に見直して欲しいと思いますね。