小野田寛郎さんのおかげで本名デビュー
「そよ風みたいな女の子」。私に、キャッチコピーがつけられた!
当時のアイドルには、皆ついていて、中三トリオの百恵ちゃんは「人に目覚める14才」、淳子ちゃんは「さわやか淳子ちゃん」、昌子ちゃんは「あなたのクラスメート」。こうして見ると、あの頃のアイドルには、清純が特に求められていたのだろう。ちなみに、私の同級生で親友の大場久美子ちゃんは「一億人の妹」。その愛らしさは今も健在だ。
林寛子は本名で、子役からずっとこの名前。
デビュー会議の時、「寛子」は難しいのでひらがなの「ひろ子」に変えようと言う案が出た。それを聞いて、私は「本名のままでお願いします!」と生意気にも抗議した。
すると、翌日の新聞に、小野田寛郎さんがルバング島で発見されたニュースが。そのお名前の上に「ひろお」と大きく読みかながふられていた。なじみの薄かった「寛」が一躍国民に広く知られる事になった。そして即、会議で「この子はなんて運の強い子なんだ!寛子はこのままの漢字で決定だ!」。
その出来事がなかったら、私は「林ひろ子」になっていたかもしれない。
「寛子」は、後に「カンコ」と言う愛称で呼ばれるようになったが、最初に「カンコ」と呼んでくださったのは、子役の時に、ドラマ「花は花よめ」で共演した吉永小百合さんだった。もし、「林ひろ子」でデビューしていたら、「カンコ」と言う愛称もなかっただろう。
カンコと呼ばれて45年。「ラブリーカンコ」。ステージでの親衛隊カンココールは、今も爽やかに、声高らかに響いている。