V6岡田が見せた極限状態の凄み
邦画史上初めてエヴェレストの標高5200メートル地点でロケを敢行した映画「エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)」が12日に公開される。空気は半分、気温は激しく上下動、命の危険と隣り合わせ…。過酷な環境下での撮影は困難を極めた。山岳カメラマンを演じた主演のV6・岡田准一(35)が、極限状態で見せたすごみとは-。平山秀幸監督(65)に舞台裏を聞いた。
“映像化不可能”と言われた夢枕獏の人気小説が原作。最大のネックとなっていた、世界最高峰・エヴェレストでのロケからクランクインした。撮影は昨年4月。岡田らは日本で低酸素トレーニングや氷壁クライミングの練習をしてから3月上旬に現地入りし、万全の準備を整えてエヴェレストに第一歩を刻んだ。
「出演交渉したとき、岡田さんは一言目に『ヒマラヤでは、ほっといてください』と言ったんです。『面倒みなくて結構です。追い込んでください』と。自分のことは自分でする。非常にストイックでした」
高度順応しながら10日間かけてエヴェレスト街道を標高5200メートル地点まで登った。カメラマン役を憑依(ひょうい)させるため、劇中同様に、不屈のクライマーを演じた阿部寛(51)をカメラ片手にトイレまで追いかけたエピソードは鉄板ネタ。一歩間違えば2000メートル下まで真っ逆さまの崖がところどころにあり、撮影の有無にかかわらず、山で過ごす1分1秒がすべて死に直結する時間だった。
「岡田さんは10日間で顔つきが変わっていった。役に入り込んでいくんじゃなくて、山に入り込んでいくんです。どんどん山男の顔になる。『V6の岡田准一じゃなくなるのがいいだろう』とおっしゃっていましたね」
標高が高くなると、まず「睡眠が浅くなる」。さらに「標高4000メートルくらいから(気圧の影響で)顔が腫れていく」という。危険度が高いことから登山者はキャスト、スタッフ問わず保険に入ったが、平山監督いわく「それだけはプロデューサーも『言いたくない』と口をつむぐほどの額」だったという。
一流の“山屋(山岳アドバイザー)”がサポートしているとはいえ、時にはカメラ位置から2時間ほど離れた場所に岡田ら少数のスタッフだけが移動し、撮影することもあった。重量感を出すためザックには岩を詰め込み、重さ30キロを背負って移動した。当然ながら風呂には入れず、日焼けもあって岡田は日に日に黒くなっていった。
「天気がいいときはTシャツでいられるくらいなのに、寒くなったら平気でマイナス10℃以下、風が吹いたらマイナス20℃くらいにすぐ落ちる。空気は半分しかなく、一言で言うと“乱暴な動き”をしちゃいけない。みんなには『臆病になってくれ』と言いました。寒い、風は強い、空気は薄い。撮影以外、何の楽しみもなかった。修行でしたね」
「頑張れ」ではなく「頑張るな」が合言葉になっている異常な現場。そんな極限状態だからこその“演技を超えた演技”が、画面に説得力を与えた。
「『しんどかったら、しんどくていいよ』と言いました。お芝居でもなんでもなく、それが役者が感じた現実。小細工のある演技プランなんて何の役にもたたなかったですね」
高地では血中酸素が下がるため、パルスオキシメーターと呼ばれる器具で山岳ドクターが定期的に数値を測定した。平地で100の数値が60台まで落ちると、ドクターいわく「本当に死にます」という危険値のため、その場合は例え撮影が終わっていなくても、主演の岡田でさえ山の下に即搬送…の約束だった。
「役者には替えがいない。(撮り終えられない事態は)恐怖感としてはありました。岡田さんたちもギリギリでやっていたと思う」
完成披露試写会での舞台あいさつで、岡田は「呼吸をいっぱいしてから測ってました」と“ズル”を告白している。平山監督は「そうだったみたいね」と苦笑いするが、プロ意識の高さゆえの行動だろう。
現地・ネパールの人には「4人に1人は必ず高山病になるのが普通」と言われたという。今回は日本人スタッフ30人、シェルパら現地スタッフを加えると120人が誰1人として脱落しなかった。平山監督は「運がよかった」と振り返るが、おのおのの高い意識が“奇跡”を起こしたといっても過言ではない。
岡田のすごさとは何か?
最後の問いに平山監督は、しばし考えて口を開いた。
「しんどいのは分かっていて、出演したと思うんです。ものすごくしんどいのが分かっているけど、それを楽しむ。細かい役作りというより、山に丸ごとぶつかっていったって感じがするんですね。そのすごみが映画に出ていたら、と思う。絶対に折れない強さ、映画を背負っている責任感の強さがあった。ものすごく大きなエネルギーでした」
そして「(撮影後に)V6のコンサートに行ったら、まったく違う顔でした」と笑った。撮影後、岡田はまたエヴェレストに登りたいと話しているという。
(デイリースポーツ 古宮正崇)