月亭可朝 夫人との出会い(下)浮気して包丁で追いかけられたことも
落語家の月亭可朝には何かと破滅的なイメージがつきまとう。酒、女、バクチ、選挙に出ては突拍子も無い公約を掲げて落選。これほど破天荒だと結婚してくれる女性はいるのだろうか…と思ったが、いた。「家族の話は…」と渋る可朝だが、夫人と出会えたことに「恵まれとった。強運やった」と感謝の言葉も。古い記憶をたどると、横山やすしさんの気遣いエピソードも飛び出した。【上】【下】で。以下は【下】。
-やすしさんも娘さんがおられます。
そうやな。その時に、みんなでご飯食べたんや。娘の友達も一緒に。せやから、やすしの晩年のころは娘は心配しとった。「前みたいにやすしさんと一緒にご飯食べよ」と。やすしから電話があることを言うたら「行こ。やすしさんと食事に行こ」と。行ったけどな。やすきよは、きよしの方がけんかっ早いで。やすしの方が気ぃ小さい。
-気の強い奥さんだと師匠が浮気したらとんでもないことに
包丁持って来よったこともあったわ。向こうはまっすぐで気の強いのかたまりや。こっちはずるい悪いの固まりや。逃げなしゃーない。でもな、わしが吉本におって家賃も払えんかった時はほんまに助けてもろた。
-どんなことが
新婚のころに大阪の羽衣に住んでたんや。女学校ができたり、工場もでき始めて外国人も住むようになってきた。でも、洋服を作る店がなかったんや。羽衣の駅前で生地を売ってる店があったから、そこへわしが行って、実はうちの嫁は洋服をデザインして裁断するのが仕事なんで、この場所貸してくれまへんかとお願いしたんや。交渉も成立して看板あげることになってな。染丸師匠(三代目林家染丸)が「おれが看板作ったる」言うて電飾で「鈴木洋装店」て作ってくれたんや。わしは嫁はんが作った洋服を自転車で依頼主に届けた。
-夫婦二人三脚だった
そうや。それで家賃も払えるようになったんや。新婚のころや。ほんで「嘆きのボイン」がバーンてヒットした。家を買おかとなってラッキーやった。嫁はんは服縫うてくれるし、稼いでくれる。わしは恵まれとった。強運やね。ありがたい。
-貴重なお話をありがとうございました。うまくまとめます。
無理やろ。