大村崑 素手で死体整理をした戦争体験…教師は皆で作った作物を独占した
俳優・大村崑(86)は二十歳前後のころ、病弱を理由に医師から「40歳までしか生きられない」と余命宣告されていた。その倍を超えても元気であることに「拾った命」と評し、「戦争でもえらいめにあった」と神戸空襲で死体整理をした経験を語った。崑ちゃんの元気ハツラツ物語の最終回をどうぞ。
-若いときは医師に40歳までの命と言われて、その倍を超えても元気です。
命ひろたようなもんやね。戦争でもえらいめにあった。神戸大空襲では死体整理をやらされた。空襲の翌日は道路に死体がいっぱい転がってた。いっぱい。通れるようにするために皆で手分けして死体を片付けるんです。学校に行ったら先生がいてトラックがあった。荷台には棺桶がありました。小学6年生くらいやったかな。地域ごとに担当を決めて、僕は清盛塚周辺(現兵庫区)でした。そこも死体でいっぱいやった。焼け焦げた死体を触るのに軍手も何もない。怖いも言われへん。男の子ばっかり。棺桶を荷台から降ろして開けて死体を入れて。学校に戻ってやぐらを建てて、先生が油をかけて死体を燃やして灰にした。
-焼け焦げた遺体をさらに焼いて灰にしたと。
そうです。終戦で天皇陛下の玉音放送を大人は土下座して聞いてたけど俺ら子どもは防空壕で『ばんざーい!白いご飯が食べられる』ってうれしかった。お米は兵隊さんに送りますから、僕らが食べていたのは麦飯。麦飯も食べられなかったら芋の皮、芋のつる。芋のつるよ!葉っぱと。それをメリケン粉で団子にして。
-白いご飯を食べることができるという喜び。
そう。もう逃げんでもいいし、安心して眠れるし。とにかくひもじかった。朝起きてひもじい、昼もひもじい、夜もひもじい。学校の運動場を畑にしてみんなで育てた。でも実がなったら先生が全部持って帰った。
-生徒にあげないんですか。
そんなんない。僕らが作ったのを先生が持って帰る。食うためになったら先生も生徒のことなんか言っとられへん。人、変わっちゃうんだ。
-先生が全部持って帰るとは。
戦争になると人間は皆、変わってしまうんです。優しかった先生も生徒が作ったものを自分のために持って帰ってしまう。
-著書の中で100歳まで働けると。
102歳です。102歳でぼくは消える。金婚式の集まりを開いたんです。月亭八方が最後の挨拶のしめで「今日はおめでとうございます。ところで師匠、幾つまで生きるつもりですか」って言うんですよ。ドンとウケてました。100歳って言ったらあざといでしょ。それで102歳と。笑っておしゃべりしてたら脳の活性化になってぼけ封じにもなるし。
-肌もツヤツヤ、髪もふさふさです。
ヘチマコロン使ってます。それをつけてたたいて。
-髪は自前ですか。
全部自分のです。20年くらい前はよく抜けたけど今は抜けない。頭皮マッサージも何もしてないよ。どこにでも売ってるシャンプーとリンスだけ。肌にはヘチマコロンを使ってます。母が使ってたんです。記事に僕がヘチマコロンを使ってるって出してもろたら、ヘチマコロンがコマーシャルに僕を使ってくれへんかな。
-オロナミンCに続きCMを。書いときます。
ありがとう!
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大村崑(おおむら・こん)(本名 岡村睦治) 喜劇俳優。1931(昭和6)年11月11日、神戸市生まれ。クラブのボーイから司会者、コメディアンに転身。50年代、テレビの黎明期に軽演劇「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」「とんま天狗」で全国的スターに。大塚製薬「オロナミンC」のCMで「うれしいとめがねが落ちるんですよ」のコピーがはやる。2017年、旭日小綬章を受章。「ゆうもあくらぶ」理事長。