BORO「大阪で生まれた女」歌わないと怒鳴り込まれた…何で歌わへんねん!
シンガーソングライターのBORO(64)が作り、歌った「大阪で生まれた女」は、“大阪のソウルバラード”のひとつに必ずと言っていいほど数えられる。リリースは1979年。大阪のご当地ソングと称されるほど愛されているが、ヒットの火が最初に付いたのは札幌だった。一時期ライブで封印すると、「なんで歌わへんねん!」と楽屋に怒鳴り込んでくるファンがいた。BOROは「作者の手を離れて育った」と来年40歳となる“我が子”への愛を激白した。(上)(下)で。以下は(上)。
-「大阪で生まれた女」は来年で40年。音楽のほとんどは生まれては忘れられ、消えていく中、長く愛されている。
普遍的なテーマが曲にあるんじゃないかと思います。大阪人じゃなくても、自分が生まれた町を愛する気持ちとかね。ほかの街で生まれた人も同じ思いを持っている。人間のひとつの普遍的なテーマを持っている曲なのではと思います。
-どこの街の人も自分なりの物語をあの曲の詞に重ねると。
そうですね。この歌は一番最初に火が付いたのが札幌なんです。札幌で有線で1位になって、すぐにキャンペーンに行きました。すごかったです。熱狂的に受け入れてくれて。大阪弁は当時は現在のようには広がっていなかった。東京ではよくバカにされました。でも、北海道までいくと大阪弁もぜんぜん大丈夫でした。東北はだめだったですね。
-大阪から全国に広がったのではなかった。
そうです。意外とほかの街の人が共感したというのは、自分が生まれた街を愛しているという人間の普遍的なテーマがあるからじゃないかなと。それと、「大阪で生まれた女」というタイトル。大阪で必ず、今日もどこかで生まれている。人々がタイトルを見たときに「自分や」と思える。それは大きいんじゃないかと。そんなこと考えて作ったんじゃないですけど、後で思えばね。もうひとつの要因は作者自身が歌い続けていること。これは大きいと思うんです。ライブでは絶対に歌いますからね。歌わない時期もあったんですけど。
-なぜ歌わなかった。
卒業して次の歌に行こうと思って、ちょっとやめとこうと。軽い気持ちです。一生やめようとかじゃなくて。ところがライブでやらなくなったら文句いう人が出てきまして(笑)。楽屋に怒鳴り込まれたんです。「なんでやらへんねん!理由を言え!」と(笑)。
-なんと答えた。
歌ってあげましたよ。座りぃなって。
-楽屋で。
はい。そんな聞きたいんかいなって。とりあえず座りって。(笑)歌うから座りって。1人を相手に。
-それほど愛されている曲ということ。
自分の手を離れて育っていってるからね。歌いましょうと。みんなが求めてはんねやから。それでまた歌い出したんです。