海原はるか・かなた 髪を吹き飛ばすネタ誕生のきっかけ…コンビの意地とアドリブ力
漫才コンビ、海原はるか・かなたの鉄板ネタはどのようにして生まれたのか。はるかの薄い髪をかなたが一息で「フーッ!」と吹き飛ばし、ざんばら状態に。ぼう然とするはるか。何度見ても爆笑必至だ。このギャグが誕生したのは、はるかが楽屋で見せた芸人仲間への意地と、それを受けたかなたのアドリブ力だった。
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-お2人は明蝶学院(松竹新喜劇の俳優・曽我廼家明蝶が設立した俳優養成所)4期生として出会った。当初は俳優志望だったのになぜ漫才に変わって海原お浜・小浜さんに弟子入りを。
かなた 相方が明蝶学院に通いながら住み込みで新聞配達をしていたんです。配達先に漫才作家の秋田実先生のお弟子さんがいましてね。その方が相方に、「卒業後はどうすんねや」と心配していただいて。「小浜さんが弟子を欲しがってるから行くか」と。それで弟子入りしたわけです。
はるか 男の弟子がおらんからと。
かなた 相方は私より先に弟子入りして。鹿児島出身者とコンビを組んでたんやな。
はるか そうそう。その子とネタ作ってやってたら俺は熊本なまりで向こうは鹿児島なまり。お浜師匠が一言「お前ら、何を言うてんのか分からへん」。他にコンビを組める人物はいないのかと言われて、明蝶学院のなかで唯一連絡を取っていた今の相方に声をかけたんです。
かなた 役者志望ではあったんですけど、明蝶学院を卒業したらその後はなんもない。とにかく、何か足がかりをつけないとあかんかった。
-かなた師匠が一息ではるか師匠の髪を吹き飛ばす「フーッ」のネタは爆笑必至。どのように誕生。
かなた たまたまですよ。40歳を過ぎたころでした。劇場の楽屋に大勢の芸人がいましてね。亡くなった横山たかしさんがあの口調で「われわれも40を過ぎたらもう、あかんぞ~」と言うんです。
はるか そうやってみんなを笑わせて楽屋を盛り上げるわけです。
かなた そうそう。それでたかしさんに負けじと相方も楽屋を盛り上げようとして「胃が悪かったら胃薬を飲んだら治るけど、これは治らんぞ!」と言って髪をオールバックにしたんです。前髪が薄くて戦国時代の落ち武者みたいな頭になった。当時、相方の髪が薄いことは誰も知らへんかったから、こんなに薄かったんやと大爆笑でした。
はるか たかし・ひろしさんはしょっちゅうテレビに出てはったんです。僕らはテレビの仕事なんてほとんどなかった。たかしさんが盛り上げてんのに僕らが盛り上げへんかったら「テレビに出てないやつはやっぱりおもろない」と思われるのがいやで、なんとかこの場だけでも盛り上げようと「実はおれ、こんな頭やねん」とやりました。
▼はんぱなかった -意地で笑いを取った。かなた それが1回目と2回目の浪花座の休憩時間やったんです。2回目の舞台に上がったとき、ネタが夫婦げんかのネタで。けんかの原因はドライヤーの貸し借りでもめるという話やったんです。それで私が楽屋での爆笑を思い出して、アドリブで「ドライヤーで何すんの。そんなもんいるか」てフーッ!と相方の髪を吹き飛ばしたのがきっかけです。ほんなら大爆笑で。
はるか もうね、今でも記憶に残ってんのは…笑いの量がね。
かなた はんぱやなかったな。
はるか 現役のいとし・こいし先生でもこの笑いはとられへんやろなと思った。爆弾のような笑いやった。僕にしたら予告なしに、まさかこんなことするとはって。
かなた 思いつきでやったから。僕も笑って1分くらいセリフが出えへんかった。
-だいぶ薄かった。
はるか 自分では「ああ、薄くなってきたな」と思ってましたね。風呂で頭を洗ったら排水溝に毛がたまっててんこ盛りになることもあって。あるもんがなくなっていくのはね…。増毛対策はいろんなもんを試しました。中国の「イチマルイチ」とかね。逆に抜けだしたような気がした。
▼笑いの神様が -はるか師匠は抵抗はなかった。かなた 相方には、いややったらせえへんでいいと言いました。是非ともせなあかんとは強制しなかった。せやけど世に出ようと思えば、強烈に出ようと思えばこれ以外にはるか・かなた、何ができるねんと。笑いの神様がくださった。長く苦しんできてこれやと。ほかの芸人さんもそうやと思いますねん。これやとおもたはずですわ。私も世に出るきっかけが訪れたと思いました。
はるか 自分は男前ではないですけど気持ちは二枚目なんです。二枚目の男の頭がこれではあかん、恥ずかしい、でも笑いがぜんぜん違う。そんな葛藤はありました。時間はかかりましたけど、こんなんがひとつのギャグとして成立して仕事が頂けるならと吹っ切れていきました。
-毎朝シャンプーを。
はるか 前はもうちょっと髪が多かったんで朝にシャンプーしてさらさらにして舞台に出てたんです。今はシャンプーして髪に力が入るまでに時間がかかるようになってきて。以前に比べたら減ったし。前日の夜11時過ぎにシャンプーして乾かして朝に軽くドライヤーをあてます。髪に力が入るまでに時間がかかるようになって…。
かなた 相方の髪は意外と飛ばしにくいんです。あとで分かったことやけど私は肺活量がすごくてね。40代の時で平均より1200多かった。他の人では飛ばされへん。そういう意味では全てがうまくいったかもわかりません。
はるか 立ち位置もそうやな。
かなた そやな。立ち位置が逆やったらできてない。
はるか できてない。すべてがうまくいったというか、神様が最後に光を当てて下さったというか。
-最後に「生フーッ」を見せて下さい。
はるか いいですよ。ちょっと、くしでときます。
かなた とくほどないやろ!フーッ!
〈WHO’SWHO〉 海原はるか・かなた(うなばらはるか・かなた) 立ち位置向かって右がはるか、左がかなた。はるかの本名は和泉秀一。1948年、熊本県出身。かなたの本名は西尾伊三男。1947年、奈良県出身。海原お浜・小浜に弟子入り。かなたがはるかの髪を一息で飛ばす一発芸でブレーク。はるかはダウンタウン松本人志が監督した映画「大日本人」に出演。2000年、上方漫才大賞奨励賞を受賞。