歌う旅人 ナオト・インティライミ

 ポーズを決めるナオト・インティライミ=東京都内(撮影・園田高夫)
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 昨年大みそかのNHK「紅白歌合戦」に、一風変わった名前の歌手が出演した。ナオト・インティライミ(33)。ペルー語で「太陽の祭り」を意味する自称“旅人系シンガー・ソングライター”は、Jリーガーの卵から引きこもり生活と世界一“蹴”旅行という寄り道をしながら、とびっきりのパーティチューンとナイーブなラブソングを歌う旅を続けている。(聞き手=杉村峰達)

  ◇  ◇

 ‐去年の紅白出場で、見える世界は変わったか。

 「そんなに大きな変化はない気はしますが、年配の方々に顔を認識されることは増えた。小さい子や60歳以上の方から『あんた、名前何だっけ。テレビで見たことある!』と言われるようになったり」

 ‐実際の紅白のステージはどうだった。

 「記者発表(11月26日)から12月31日の会場を去るまで、全部が紅白。ワクワクや緊張を含めて、すべてが夢の世界だった。ずっと緊張してたんだけど、森進一さんに『森さんほどの方でも緊張するんですか?』と聞いたら、『そりゃ、するよ!』と言われて、『森さんでも緊張するんだから、俺たちが緊張するのは当たり前だな』と力が抜けた。最後は『日本の最高峰の音楽の祭典で、こんなにすごい方々に囲まれて、楽しめなかったらもったいぞ』と開き直れた」

 ‐意外に緊張するタイプ。

 「メチャクチャします。でも大切なのは、それまでに準備ができているかどうか。準備が十分だという思いがあれば、ワクワクして、早く見せたい。だから準備をしていたいと思う。性格的にはウサギかカメならカメ。学生時代のテスト勉強も一夜漬けとか考えられなかったし。コツコツと2週間前からやらないと落ち着かない」

 ◆紅白の前後で、デビューしてから2度目の世界旅行に出掛けていた。エチオピア、カリブ海、コロンビアの3地域。その模様は、現在公開中のドキュメンタリー映画「旅歌ダイアリー」に収められている。

 ‐今回の旅で、一番大きな出会いは。

 「圧倒的にエチオピアの先住民、ハマル族を訪ねたことです。心の革命が起きボーッとするって気持ちいい。それを体感的に教えてもらった。彼らの村に着いて、まず服が浮いているなと思って、裸になった。そして、彼らが1日の長い間、ボーッとして地平線を見ているから、自分もやってみた。でも、始めはどうしても、ソワソワしちゃう。日本のせわしい中で生きているから、落ち着かない。

 それが、だんだんと気持ちいいなと思いだした。最近、ボーッとしてなかった。何でだろうと考えて、行き着いたのが『携帯電話に忙しい』ということ。考えてみると、僕たちの世代は、電車を待っている数分も、信号待っている何十秒すらも待てなくて、無意識のうちにバッグから携帯電話を取り出して、下を向いて画面を見ている。

 でも、本当は下を向いている間に、世界ではすてきなことがたくさん起きているんじゃないか。流れ星が落ちたかもしれないし、きれいな筋雲が出ていたかもしれない。携帯を見ずに、ボーッとしていたら、『今年の夏は、あそこに行って楽しかった』とか『今度はこんなことをしよう』とか、過去、現在、未来の自分と対峙(たいじ)したり、『あいつどうしているかな』とか誰かを思う時間だったかもしれない」

 ‐確かにそうですね。

 「エチオピアから帰ってきて、ケータイに費やす時間を半分にしてみた。2週間後にあった、ある野外フェスで顕著な効果が表れました。音がメチャクチャ気持ちいい。僕は今まで音楽を耳で聞いていたけれど、今は全身の毛穴から染みわたる感覚。感じることを情報で埋めて鈍らせていたのが、イッキに解放されていく感覚を覚えた」

 ‐それが心の革命。

 「不思議な経験だった。別にツイッターやフェイスブックが悪いわけじゃないけど、依存せず、意思でコントロールしていくことが、これからの時代は大事。現代の便利なツールより、もっとステキな瞬間があるんだということを、3~4万年前から同じ生活をしているハマル族に教えられた。そのときにふと浮かんだ言葉が『Catch the moment(この瞬間を逃すな)』」

 ◆幼少期からサッカーを始め、中学時代は柏レイソルのジュニアユースに所属。Jリーガーを目指した時期もあった。一方で中学から曲作りを始め、最終的にはシンガー・ソングライターの道を選んだ。01年「なおと」名義でメジャーデビューしたが、ヒット曲は出せなかった。そして、引きこもり生活が始まった。

 「デビューして『夢はワールドツアーだ』なんて調子に乗っていたけど、まったく売れなかった。所属事務所はつぶれ、自分を採用してくれたレコード会社の社長も交代して、まさに四面楚歌。描いてきた未来と現実のバランスが崩れて、精神的にもおかしくなっていた。今までがビッグマウスだっただけに、弱い自分をさらせなかった。友達とも顔を合わせたくないし、親にも泣きつけなくて。電話に出られなくなって、誰にも会えなくなった」

 ‐そこからどうやって脱却した。

 「最初は、曲を作ろうとピアノの前に座っても、曲はできませんでした。灰色の世界の中に3、4カ月いた。さすがにこのままじゃいけない。でもこんな生活になったのは自分にも非があるし、変えるためには、中途半端ではなく、よっぽどのことをしないといけないだろうと考えた。そのときに自分の夢って何だっけと思い返して『ワールドツアー』という言葉が浮かんだ。それなら、その下見に行こう、世界中の音楽を体験しに行こうと。もともと、アメリカやケニアとかにバックパッカーで行く放浪癖はあり、旅が短期間で大きな経験になるのは知っていたから決断できた」

 ◆03年8月から、アジア、南米、欧州と世界28カ国を515日かけて巡った。サッカーボールとギターで現地の人たちと仲良くなっていくさまは、旅行記として出版されるほど痛快。驚くような奇跡も起こした。

 ‐イスラエルではパレスチナ解放機構のアラファト議長の前で歌を披露したとか。

 「中東を歩く中で、平和について考えるようになって、活動家の人にも会ったけど、リアルに思えなかった。自分には歌だ。どこで歌えないかと思ったときに『アラファトさんだ』と思っちゃった。あとは街の人に話しかけて『アラファトさんってどこにいるの?』。『ラマラという街だよ』という感じで、議長府にたどり着いて、最後は『ジャーナリストだ』って言い張ったら中に入れてくれた」

 ‐メチャクチャですね。

 「アラファトさんにあいさつして『上を向いて歩こう』を歌ったら、すごい笑顔で、一番に拍手してくれた。僕が歌った瞬間だけは、戦争を忘れているかのように感じた。それが音楽の力だと実感した」

 ‐旅と音楽はどういう関係。

 「旅をしているから音楽が生まれ、1行の歌詞が生まれる。僕にとっては旅と音楽は一体化しているもの」

 ‐今後の目標は。

 「日本中、世界中を旅して、音楽を介して、人とつながりたい。人が好きだから。こないだ、被災地に行ったけど、まだまだ2年前と何も変わっていない状況があって、僕たちの風化した雰囲気と、どんどんギャップが生まれている。

 世界でも、例えばハマル族は飲み水などが不潔で、成人になるまでに半分の人が死んでいく。そういう状況を、音楽を共有することで、自分に何かできないかというのは常に考えているし、今後もそうありたい」

 ナオト・インティライミ本名・中村直人。1979年8月15日、三重県出身。千葉県野田市で育つ。中学時代は音楽活動と並行して、サッカーの柏レイソルジュニアユースに所属。中大在学中の2001年に「なおと」名義でデビュー。引きこもり、“世界一蹴”の旅をへて、10年に「ナオト‐」名義での第1弾「カーニバる?」を発売。最新シングル「恋する季節」が発売中。5月15日にはアルバム「Nice catch the moment!」をリリース。

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