役者生活60周年 仲代達矢

 役者生活60周年を迎えた俳優・仲代達矢(80)が時代劇への“憂い”を口にした。仲代は映画史・時代劇研究家の春日太一氏(35)とのコラボで「仲代達矢が語る日本映画黄金時代」(PHP新書)を出版。自らの役者人生を振り返ったが、インタビューでは日本の映画、ドラマの“象徴”である時代劇のあり方、その将来を担う役者のあり方などを憂慮した。

  ◇  ◇

 ‐仲代さんの独自を読んでいると、今後の時代劇をものすごく心配なさっているという気がしたのですが。

 「そうですね。心配してますよ。アメリカでは西部劇が唯一独特なものであって、日本映画はやっぱり時代劇。いわゆるチャンバラが世界に類のないもので、日本の象徴だと思うんです。今は違うかもしれないけれど、カンヌに持って行った時でも、お客さんが興味を持ちました」

 ‐その時代劇のあり方が変わって来ているのですか。

 「京都には時代劇の職人的なスタッフがいっぱいおられましたが、会社がつぶれたりして、俳優も含めて、次の世代につなげる人たちがだんだんいなくなってきています。ですから、今のテレビの時代劇には、黒澤さんが生きてらしたら、怒鳴りつけるでしょうね」

 ‐黒澤さんのこだわりはすごかったですか。

 「『七人の侍』(1954年公開)は5~6人のシナリオライターを使い、何年間も時代考証を含めて作ったと聞いております。『用心棒』(61年公開)では衣装合わせに1カ月ぐらいです。黒澤さんはもともと絵描きになりたかった人ですから、その人物がパッと出てきただけで、すべてが分かるというような服装を求めていましたね」

 ‐仲代さんも黒澤監督の“洗礼”は受けたのですか。

 「『用心棒』では、本にも書いてありますが、黒澤さんが『君は首が長い』っていうんですね。武士にしては、昔の人にしてはと…昔の人たちはもっと猪首(いくび)だったというんですけど、猪首じゃないんだから困っちゃう。そこでいろいろ苦労を重ねた末に、首にマフラーを巻くんですね。鎧(よろい)も首が長くても猪首のように見せる作り方をしました。今の時代劇をテレビなんかで見てると『もっと首が長いヤツが出てきた』なんて思うんですけど」

 ‐時代劇は歩き方から違うのですか。

 「ええ、もちろんそうです。映画では竹光(たけみつ)を使うでしょう。でも、実際の刀には重さがある。竹光の軽さのままで歩いたらダメ。そこで刀をイメージして、竹光を差した方の腰を何キロ分落とすとか‐そんなふうにしました」

 ‐マフラーの話に戻りますが、当時にマフラーはあったんでしょうか。

 「ある批評家の方が、あのころ、あんなもの(マフラー)はないっていったらしいんです。そしたら黒澤さんが『ふざけんな。あのころ(幕末)は横浜はイギリスと貿易があったんだ。アイツ(仲代さん演じるヤクザの卯之助)は横浜の方でブラブラしてたんだから、そんなこともあったんだ』って怒ってました」

 ‐当時はほかの俳優さんとのケンカもあったようですが。

 「単なるケンカじゃなくて、基本的には演技論ですよ。わたしは新劇、萬屋錦之介は歌舞伎から、勝(新太郎)さんは三味線の方から出てきた。三船さんは本当の映画畑です。昔は映画俳優、歌舞伎俳優、新劇俳優って区別されていました。だから『新劇はこれでいいのか』『歌舞伎はそれでいいのか』ってことで、飲んでいるうちにケンカになっちゃう。こだわるんですよ。こだわりなんです。例えば、萬屋とウチでケンカして、じゃあ仲良くしようとなって(京都の)祇園に飲み行く。そしたら、また祇園で(ケンカが)始まるんですよ。とにかくこだわるんです」

 ‐映画会社の対抗意識もあったのですか。

 「例えばわたしが『切腹』(62年公開)の時に大映で撮ってて、錦ちゃんが東映で撮ってた。2人がケンカしたって、(京都)太秦の撮影所に伝わると、どっちが勝ったんだとなる。オレの方が勝ったというと、大映側から拍手が起こるんですよ。でも、殴り合いですから2人とも顔がはれて撮影ができない。頭を冷やせってもんで撮影は翌日です。いい時代でした」

 ‐こだわりといいますが、どこの部分でぶつかってしまうのですか。

 「ある人はね、台本読んで『仲代君がこう出ると思ったけど、思ったように来ないから芝居が出来ない』というんです。わたしも『あなたがこう出ると思ったから、こういう芝居をしたんだ』と言いました。そういうぶつかり合いもありましたね」

 ‐劇団間でもケンカがあったそうですが。

 「僕らは俳優座で文学座、民藝が三大劇団といわれてました。その下に寺山修司さん、つかこうへいさん、唐十郎さんとかの劇団があって、(三大劇団を)ひっくり返そうとしてましたから。たまたま(新宿)歌舞伎町の飲み屋で会うと、グワーとなってやっぱりすごいケンカです、10人対10人ぐらいの。血だらけになって。そういう時代だったんですね。戦後ってこともあったし、安保のころでもあったし、人間がいらだっているってんじゃないけど…アンチ、対抗意識。もともと新劇なんて旧劇に対する対抗でできたもんですからね」

 ‐無名塾を主宰されておられますが、役者を育てるのは大変ですか。

 「それはもう、すごく大変。点数じゃないですから。天性役者としての勘も持ってるヤツを見抜くということです。役者志望で来る90%が大学出てなんだか面白くない。役者ってテレビ見るとなんか面白そうだからやりたいって人です。そういう人は。役者って大変なもんなんだってっていうことが、3年間の基礎の間でようやく分かるんですよ」

 ‐今まで何人ぐらい役者の卵を見て来たんでしょう。

 「40年間やってますから、たとえば1年間に5人取ったとして、200人通り過ぎていったわけですけど、今実際役者で食ってるヤツは10人いないでしょう。非常に不安定な商売なのに、いい学校出て役者になりたいという。不思議に思うんですけど…あの程度のことはできるんじゃないかってテレビ見て、皆さん思うんでしょうね。今の子たちは、生まれた時からテレビがあるもんですから。舞台では食えないんですけど、ウチは舞台をやる。舞台をちゃんとできれば、あと適応できるってことを言ってます」

 ‐今後の活動ですが。

 「映画は阪本順治監督の『人類資金』(10月公開予定)に出ます。ただね、コタツに入ってお茶みたいな(役は)やりたくないとは思ってます。舞台は足腰です。何年もつか分かりませんけど、あと2~3年は頑張るつもりでいます」

 仲代達矢(なかだい・たつや)俳優。本名・元久。1932年12月13日生まれの80歳。東京都出身。都立千歳高校定時制卒業後、俳優座養成所を経て55年に俳優座入り。映画デビューは黒澤明監督の「七人の侍」(54年)の浪人役。以降も舞台と映画で活躍し、代表作は「人間の條件」「用心棒」「大菩薩峠」「「影武者」「乱」「鬼龍院花子の生涯」「不毛地帯」など。75年から「無名塾」を主宰し、新人俳優養成に乗り出す。86年に紫綬褒章、2003年に勲四等旭日小綬章を受章。07年には文化功労者となった。

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