職業「歌手」 藤井フミヤ

 30周年を迎えても若々しい雰囲気の藤井フミヤ=東京都千代田区のソニーミュージック(撮影・西岡 正)
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 ボーカリストの藤井フミヤ(51)が、チェッカーズのデビューから30周年、ソロデビュー20周年を迎えた。21日から始まった記念ツアーには「青春」とタイトルがつけられ、「I Love you,SAYONARA」「素直にI’m Sorry」など大半をバンド時代の曲で構成。まさに、フミヤの、そしてファンの青春を呼び起こすライブとなっている。51歳のフミヤが振り返る青春とは‐。

 ◇   ◇

 ‐30周年ツアーが始まりました。

 「ソロになって、ちょうど20年になるけど、チェッカーズ時代の曲を中心にライブをやるのは過去にないこと。チェッカーズでもレアな曲が多いよね。気づかない人もいると思うけど、コード進行を変えたりして、マニアックなリニューアルを加えています」

 ‐当時の曲を歌うことで、過去を振り返ることはありますか。

 「最初に、チェッカーズの楽曲をまず聴き直して、その歴史を振り返りました。『涙のリクエスト』を出した翌年は、アルバムを3枚も出していたことに初めて気づいて、自分でもよくやっていたよな、とか(笑)。俺たちは久留米の田舎から出てきたガキだったから、右往左往していただけだったんですよ」

 ‐当時は派手に遊んだんですか。

 「毎日がパーティーみたいで、必ずどこかに行って、吉四六の陶器ボトル(高級麦焼酎の一升ボトル)を空けていました。当時はお金を使ってくれる“払いたがり”の人がいて、勝手に払ってくれていたんです。俺たちは下手にお金持ってなかったからよかった。投資しなきゃとか、株買わなきゃとかという発想はなかった。だからバブルがはじけても、何も傷つかずに済んだ。あのころに帰りたい?思いません。一度でいいや」

 ‐それから30年間、常に最前線を歩んできたアーティストとして、音楽環境の変化に気になる点はありますか。

 「80年代のヒット曲は、家族がみんな歌えたけど、今は分散された印象。おじいちゃん、おばあちゃんから子供まで知っている曲はほとんどないですよね」

 「レコードの時代は、針を落としてA面からB面に裏返してという作業があったから、聴く側も常にプレーヤーの前にいなきゃいけなかった。だから、歌詞カードを見ながら、とても大切に音楽を聴いていましたよね。それがウォークマンができて、街中どこでも音楽が流れるようになって、殺風景だった列車の中や教室でも、ドラマの主人公のような気分を味わえるようになった。今や配信の時代。ポケットの中に何万曲も入るようになって、音楽を聴く行為があまりにも気軽に、消費することになってきたんじゃないかな」

 ‐そこに寂しさを感じますか。

 「う~ん。それでも僕たちは歌を歌ってナンボだから。ついて行かなきゃいけない」

 ◆30周年の今年は、記念ツアーのほか、8月に伊勢神宮の式年遷宮を奉祝するコンサート、さらには5年ぶりに大みそかの日本武道館でのカウントダウンライブも復活させるなど、ライブに精力的だ。

 「以前は、アートをやったり役者をやったりもしたけど、ここ5年くらいは完全に音楽一本に絞って『職業欄 歌手』と書けるようにしたんです。色んなことをやっていると自分の御柱(おんばしら)的なものが揺らいで、中途半端になる気がした。若いころは時間が無限にあると思っていたけれど、年齢を重ねてきて、人生あんまり時間はないという意識が湧いてきたんですね。その中で、自分が一番プロフェッショナルなものはやっぱり『ステージに立つ俺』だ。そこから真剣に音楽に集中して『歌手』で生きていこうと」

 ◆自身が話すように、90年代からFUMIYART(フミヤート)という名称でグラフィックアートの個展を開き、高い評価を得ていた。05年の愛知万博では名古屋市パビリオンで「大地の塔」を手がけた。

 「当時の作品も、東日本大震災のときにチャリティーに出品しちゃったんで、ほとんど残っていないんです」

 ‐きっかけはあるんですか。

 「ある人にいわれたんです。たとえば映画は1本見るのに2時間、小説なら1週間かかる。でも音楽って、たった3、4分で泣かせることができる。俺はそんなに面白いものをほったらかしてきたんじゃないか。それ以来、この“3、4分の世界”を突き詰めなきゃいけないと思うようになりました」

 ‐50歳を過ぎて、衰えに対する挑戦はしていますか。

 「顔は老けたけど、まだ肉体や声は大丈夫。ケアはしています。何より、真面目に生きること。夜は11時には寝て、朝は7時には起きます。ジョギングしたり、サプリメントを飲んだり。脂ものはあまり口にしなくなりました。“SEX DRUG AND ROCKN’ROLL”の時代じゃない。“BEAUTY HEALTHY AND EXERCISE”ですね」

 ‐夜遊びはしないんですか。

 「今はほとんどしませんね。クラブに行っても、あまり面白いと思わなくなっちゃった。昔は週に3日は通っていたのに(笑)」

 ◆80年代から90年代にかけてのフミヤは、小泉今日子らとともに“ポップカルチャーの伝道師”のような存在だった。クラブDJの先駆けだった藤原ヒロシらと交流、当時の英ロンドンでの最先端の流行を、お茶の間に届けていた。

 「当時は流行のアンテナを張るためにも、飲みに行ったり、クラブとかに遊びに行ったりもしていたんです。今は流行(はや)りなんて全く興味がない。携帯電話を忘れても平気」

 ‐若い世代と張り合う気持ちはありますか。

 「今のアイドルの人たちと同じリングで戦うのは厳しいですよね。若い人たちが若い人たちに向けた歌と自分が届けたい歌では、歌詞の内容も違いますし」

 ‐フミヤさんは何に向けて歌っていますか。

 「大きくいえば、人間の孤独感。家族があっても、仲間がいても孤独を感じるでしょう。死ぬときは全員一人だし、孤独なんだと思う」

 ‐ツアーも新曲もタイトルは「青春」。ご自身にとっての青春とは。

 「20代までは怖いもの知らずで先のことなんて考えなくて、知らないうちに人を傷つけていたり…。そんな時代も青春だったけど、45歳くらいまでは青春だと思って生きていました。いろんなものに興味があって、コレクションをしたり。でも、どうせ何も天国まで持って行けない。今は、五感を刺激するものにしか興味がないですね。本を読む、きれいなものを見る、聴く、おいしいものを食べる」

 ◆私生活では、90年に結婚した夫人との間に、現在21歳の長男と、19歳の長女を持つ父親だ。

 「子供が小学生くらいまでは一緒になって遊んでいましたね。でも、サザエさん的な家族というものを楽しめるのは、子供が小学生くらいまでじゃない?当時は『山に行こうよ』と誘ったら『うん!』って喜んでくれたけど、今は『え?行ってくれば』だもん」

 ‐山に登るんですか。

 「ここ8年くらいの趣味ですね。体を動かして、頂上に登る達成感もあるし、飯もうまいし、酒もうまい。森林浴ができるからストレスも浄化される。何一つ悪いところがない。ただ気持ちいいんです」

 ‐今後の目標はなんですか。

 「人の心にしみるいい歌をつくるということ。それから、とにかく健康かな。健康ならば、歌えるし、山にも登れる。7年後の東京五輪は58歳。そのころまでは現役でいたいですね。開会式は絶対ナマで見たい。いろんなコネを使ってでもね(笑)」

 藤井フミヤ(ふじい・ふみや)1962年7月11日、福岡県久留米市生まれの51歳。本名・藤井郁弥。血液型A。高校卒業後、旧国鉄に就職したが、83年、7人組グループ、チェッカーズのボーカルとして「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。84年に「涙のリクエスト」が大ヒットし、紅白歌合戦には9年連続出場するなど国民的バンドとなるが、92年解散。93年、フジテレビ系ドラマ「あすなろ白書」の主題歌だったソロデビュー曲「TRUE LOVE」がミリオンヒット。弟・藤井尚之とのユニット「F‐BLOOD」でも活躍している。

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