「シネマエール東北」の存在意義
日本映画ペンクラブ(1959年創設。代表幹事・映画評論家渡辺祥子)の会員が選ぶ2013年度日本映画ペンクラブ賞の授賞式が4日、都内のホテルで行われた。
日本映画、外国語映画、文化映画の各部門で1位に選ばれた作品を称えるだけでなく、映画界に多大な貢献を果たした方々を表彰する日本映画ペンクラブ賞もある。
今回は大賞受賞者こそ該当なしとなったが、奨励賞に選ばれたのは、東日本大震災以降、被災地での移動上映を続けている映画応援団「シネマエール東北」(一般社団法人コミュニティシネマセンター)と、デジタル化で使用されなくなった35ミリフィルム映写機を保存・修復を行っている名画座「飯田橋ギンレイホール」の加藤忠社長。そして功労賞は、映画『舟を編む』や『かぞくのくに』など200本以上の作品で衣装デザイナーを務めている宮本まさ江さんに贈られた。いずれも、まさに映画産業を陰日向に支えている方々である。
当日は、岩手や山形、そして大分からもメンバーが授賞式に駆けつけて下さった事に感激しきり。ステージでは、三陸沿岸唯一の映画館として知られる「みやこシネマリーン」の櫛桁一則支配人が代表してスピーチをしたのだが、途中、「感極まってしまって…」と言葉を詰まらす一幕もあり、映画ペンクラブのメンバーであり、推薦者でもある筆者は「こんなに喜んで頂けるとは…」と必死で涙を堪えることとなった。
筆者も非営利団体「にじいろシネマ」(代表・並木勇一)のメンバーと共に被災地での無料上映活動に参加しているが、「シネマエール東北」の活動には頭が下がる思いだ。2011年6月から活動をはじめ、昨年末時点で上映回数は500回を超えるという。櫛桁さんにように、劇場を運営しながら広い東北を移動するのは肉体的にもキツイ。ちなみに、櫛桁さんの“足”となっているのが「24時間テレビ」チャリティー委員会から贈られた車両だったりする。
ほか、映画会社各社も作品の無料貸し出しで協力しているが、近年は震災から約3年を迎えるにあたり、有料提供へと切り替える映画会社も出てきた。正直言えば、活動を続けていくのも厳しい状況にある。櫛桁さんは訴える。「被災地ではまだまだ、仮設住宅で暮らしている人たちがいます」と。
筆者も11月下旬に宮城県気仙沼で行われた上映会に同行させてもらったが、復興が進んでいるとは思えない。
被災地での変化がある。当初は、東北沿岸部には映画館がだいぶ前に消え去っていたこともあり、無料上映会を開催すると老若男女が「ン十年ぶりに映画を観た」と楽しんでくれた。しかし、昨今は年配者や子供が中心。若い世代は車があれば、1-2時間かけて仙台などでシネコンに行ける環境にもなったし、そもそも働く事で精一杯らしく映画を観賞する余裕はないらしい。そこで「シネマエール東北」のメンバーは、無料上映でせっかく映画を皆で観る楽しみを再発見してくれた人たちに、それを習慣化してもらおうと、12年から「みやこほっこり映画祭」を開催。また、宮城・石巻では定期上映会「ISHINOMAKI金曜映画館」をスタートさせた。新たな挑戦は始まったばかりだ。
実はこれ、東北地方に限った話ではないのだ。東京にいると筆者もついつい忘れがちになるが、映画館のない地域は日本中にあり、劇場まで足を運べない老人や障害者なども無数にいる。映画の記事を書きながら、これまで本当に狭い読者しか想定せずに書いていたことを震災は気付かせてくれた。
「シネマエール東北」の岩崎ゆう子さんは「今後も活動を続けて行きます」とキッパリ。岩崎さんたちの活動が被災地のみならず、日本の映画文化存続の大きな力となることを願わずにはいられない。(中山治美)