今、台湾から学ぶべきこと
先ごろ開催された第9回大阪アジアン映画祭(3月7~16日)の特集企画は「台湾~電影ルネッサンス2014」と題し、現地で大ヒット中の映画『KANO』(マー・ジーシアン監督)から、古くは先住民の高砂族が神戸観光に来る短編ドキュメンタリー『台中州高砂族の内地観光』(1936年、何基明監督)まで。改めて同国が歩んで来た複雑な歴史を考えずにはいられない、濃密な特集だった。
永瀬正敏主演『KANO』は、日本統治下時代の話だ。松山商業出身の近藤兵太郎(永瀬)が台湾の嘉義農林の監督に就任し、スパルタ式指導で31年に甲子園初出場を果たした実話を描いている。野球部員は日本人・台湾人・先住民の混成チームで、劇中の会話はほぼ日本語だ。脚本監修に林海象監督が携わったそうだが、文法的にちょっとおかしい表現も、正直、聞きづらいところもある。しかし、これを批判することはできない。それは日本統治時代、日本語教育を推進された台湾の人々の姿、そのままだからだ。
一方、滋賀出身の北村豊晴が共同監督を務めた『おばあちゃんの夢中恋人』(2013年)は、日本統治下後から70年代初頭まで盛んに製作された台湾語映画にオマージュを捧げたラブコメディだ。ヒロインの名字は「蒋」。新人女優オーディションを受けた時、審査員は彼女の名前を見て一斉に立ち上がって敬礼する。物語の設定は、60年代初頭。蒋介石が中国共産党に敗れて台湾に移ったのが49年で、同国での影響力の大きさを印象づけるシーンだ。しかし、国民政府上陸がもたらした北京語普及政策の影響によって、皮肉にも台湾語映画は衰退していったという。
『KANO』から『おばあちゃんの夢中恋人』は、たかだか30~40年の間の話だ。しかし、当時の人々は政権が変わる度に何度も原語を奪われ、新たな言葉を強要させられていたことを表している。知識としては知っていたが、映像を通して体感すると、日本人としては身につまされる。特に『KANO』の台湾人キャストは今回のために日本語を学んだそうだ。当時の人たちも同様の苦労をしていたのかと思うと、胸が痛い。
その台湾では現在、中国とのサービス貿易協定の審議を巡って、異議を唱えた学生たちが立法院(国会)を占拠中だ。サービス貿易協定が実現すると中国とより密接な関係となり経済発展というメリットが見込まれる一方で、言論統制などが懸念されている。この国が歩んできた歴史を振り返れば、何者かに統治されたくないという心情が理解できるだろう。
特に映画に限ったことで言えば、香港の二の舞いになるのではないか?と考えてしまう。中国に返還された97年以降、香港からの人材流出が進んだ。中国マーケットを鑑みた北京語映画による大作が増えて、広東語映画の衰退は痛々しかった。最近徐々に香港映画界も明るい兆しが見えてきたが、“覆水盆に返らず”の印象は否めない。
しかし一方で、今の台湾に可能性も感じているのも事実だ。それは同じく特集で上映された、台湾の巨匠・侯孝賢監督が製作を手掛けたドキュメンタリー『上から見る台湾』を観賞した時に感じたことだ。
本作はてっきり、名物番組「THE 世界遺産」よろしく、美しき台湾を上空からとらえた映画かと思っていた。これが、予想外。環境破壊されまくっている実態を赤裸々に見せた告発モノだったのだ。それがなんと、昨年公開された台湾では、ドキュメンタリー映画では異例の興行成績1億台湾元(約3億4200万円)を超える大ヒットを記録。中華圏のアカデミー賞こと台北金馬奨では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。例えば日本だったら…と考えてほしい。東日本大震災後、厳しい現実を訴えたドキュメンタリー映画が数多く生まれたが、興行的な成功を収めるどころか、話題にのぼることも難しい。
日本でも大きく報じられたが、台湾は震災の時に200億円以上の義援金が贈ってくれた国である。そして3月30日に、学生たちが呼びかけた「サービス貿易協定」反対デモには市民50万人が参加したという。愛国心ゆえの問題意識の高さと行動力。今、台湾から学ぶべき事は多々あると思うのだ。(映画ジャーナリスト・中山治美)