デヴィ夫人と9・30事件とその真実

 1965年にインドネシアで起こった軍事クーデター「9・30事件」に端を発した大量虐殺事件の実行犯にカメラを向けたドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』(ジョシア・オッペンハイマー監督ら)が4月12日に東京・渋谷のイメージフォーラムで公開された。

 公開2日間の計10回の上映はいずれも満席となり、同劇場の公開2日間の歴代動員記録を塗り替える盛況ぶりだ。筆者は昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で本作に出会ったワケだが、その後、真っ先に手にしたのが「デヴィ・スカルノ自伝」(78年・文藝春秋刊)と「デヴィ・スカルノ回想記 栄光、無念、悔恨」(2010年・草思社刊)。これが、事件の背景を赤裸々につづっているだけでなく、戦後のインドネシアと日本の関係にも言及しており、今まで本書を無視してきたことを猛省してしまった。

 デヴィ夫人は今ではすっかりお騒がせタレントのイメージが強いが、インドネシアの初代大統領であるスカルノ元大統領の第3夫人である。「アジアの真珠」とうたわれた美貌から華々しい恋愛遍歴を誇り、「デヴィ・スカルノ回想記」には噂となった俳優・津川雅彦や仏俳優アラン・ドロンとの2ショット写真も掲載されており、発売当初もそっちの方で取り沙汰されることが多かった。

 ゆえに、よくあるゴシップ本という印象があり、それが食指の動かなかった理由だ。実際読んでみても他のスカルノ元大統領夫人たちへの嫉妬や憎悪はすさまじく、また、危機的状況下でもスキーやテニスに興じているセレブの浮世離れした感覚にツッコまずにはいられない部分もある。

 それはそれとして注目すべきは9・30事件の記述だ。軍事クーデターが起こったその夜、デヴィ夫人はスカルノ元大統領といつものようにヤソオ宮殿で共に過ごし、動乱の最中はいつ自分にも刃が向けられるのではないか?と、おびえながら暮らしたという、まさに生き証人なのである。

 9・30事件は、大統領の親衛隊の一部が起こしたクーデター未遂事件。事態収拾に当たった、のちの第2代大統領となるスハルト少将らが、事件を操っていたのは軍と敵対関係にあった共産党だと非難し、約120万人以上の人が公然と殺害された大虐殺事件だ。

 だが、デヴィ夫人はスカルノ元大統領から届いた書簡などで当初から共産党に罪はなく、軍の権力争いであることを察知。その背後には、米ソ冷戦時代に、アジア・アフリカの新興諸国で連携を取り、第3世界を創りあげようとしていたスカルノ元大統領の存在をよしとしない米国が、CIAを使って撹(かく)乱を狙ったのではないか?と推測。さらには日本も米国側に加担したことを両自伝で指摘している。

 真相はいまだ謎とされているが、その後、中国が文化大革命に走ったのは、インドネシアの例があったからではないかとするデヴィ夫人の見解に「なるほど」と、うなってしまった。

 何より『アクト・オブ・キリング』観賞後に両著を読むと、スカルノ元大統領は在任中から何度も毒殺の危機に遭っていたことや、67年の危篤に陥った際、パリ滞在中だったデヴィ夫人が決死の覚悟でインドネシアに駆けつけた場面などが臨場感を持って伝わってくる。

 そもそもデヴィ夫人は、自作自演のクーデターなど、失脚と同時に様々な汚名を着せられたスカルノ元大統領の真実を伝えるために著書を発表したようだ。それがなかなか世間には伝わらなかったワケだが、期せずして同作品の登場が何よりの証拠となった。

 先日、映画のトークショーに参加した時のデヴィ夫人の言葉が胸に響いた。「この映画でスカルノ大統領の汚名がそがれた。世界に真実が広まることに心から感謝している」と。

 ちなみに本作は、インドネシアで13年9月30日からインターネットで無料公開されているという。また本年度の米アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされるなど世界的な注目を浴びたことによって、インドネシア政府は「虐殺は誤りだった」とする公式見解を発表した。それでも本作の共同監督などは匿名となっており、関係者に危険が及ぶ可能性があるという。

 それでも、先日行われたインドネシア総選挙では野党の闘争民主党が第1党となり、7月の大統領選挙では、歴代の軍エリートではなく、庶民派のジョコ・ウィドド氏(ジャカルタ特別州知事)が優位となった。1本の映画が歴史認識を改めさせただけでなく、この国の未来までをも変えようとしているのではないか?そんな期待まで抱いてしまうのだ。(中山治美)

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