中国留学で生まれた奥原監督「黒四角」
文化庁では毎年、音楽や舞踊、映画などの芸術分野を対象に「新進芸術家海外研修制度」を実施している。過去には演出家の野田秀樹や崔洋一監督が。先頃発表された平成26年度の研修員には女優・美波や、熊切和嘉監督ら64人が選ばれた。
その制度を利用して、2008年に中国・北京に赴いたのが映画『青い車』の奥原浩志監督だ。以後、中国に滞在し、日中合作映画『黒四角』(5月17日公開)を遂に完成させた。
平成26年度の新進芸術家海外研修制度の募集案内によると、研修期間は1~3年、特別(80日)、高校生(350日)の5種類があり、奥原監督の場合は1年間。その間、日当と宿泊費の給付があり、都市ごとに金額が異なり、物価の高いロンドンやニューヨークは指定都市。以下、甲・乙・丙とランクがあって、北京の場合は「丙」地方にあたる。
この平成26年度版で、出発~31日までは計9100円、32日~61日目で8190円、62日~は7280円の給付がある。現在は山下敦弘監督作品で知られる脚本家の向井康介が、同制度を利用して北京に留学中だ。
「僕が行った08年と給付金額はあまり変わらないですね。でも、あれから家賃などの物価が倍近く上がっているので、今、派遣されている人は使い勝手が悪いかもしれません」
その間、義務付けられているのが、毎月、レポートの提出と、研修終了後に長文の報告書の提出。加えて奥原監督は映画製作、とくに資金集めに奔走したという。しかし、1年間の研修期間では実現できず、3年半の月日を要してしまった。
「もし、何でもよい作品だったら、デジカメ1台で撮れると思うんです。でも僕は、日本にいる時からきちんとした映画を作りたいという意識で撮っていたので、お客さん感覚で中国へ渡って撮るのは面白くない。やるならしっかり(中国と)向き合って準備してからと思っていた。だから時間がかかってしまった。とはいえ、いろんな事を知るために、人と会って、飲んで、食べて(苦笑)。でも、そうしないと映画作りはできないんで」
そして完成した映画は、これまでのざらついた人間関係を描いた『タイムレスメロディ』(00年)とも、『青い車』(04年)とも趣が違う、60年前の戦争の記憶を呼び覚ます日本人と中国人の恋愛と友情の物語である『黒四角』だった。
「何を撮るか?は全く決めていなかった。でも、もともと敗戦後の旧ソ連国境に取り残された日本兵を題材にした、長谷川四郎の小説『鶴』のような話をやりたいと思っていたんです。でも改めて中国で暮らしたことで(日中の歴史に)気持ちが向かったというのはありますね」
当初は自主製作を考えていたという。しかし、そこは経済成長著しい中国。噂を聞きつけた出資志願者が続々と現れたという。
「お金を出すところを探していたのでしょうね。でも大概、シノプシス(あらすじ)を読んで、その後の連絡はありませんでしたが」
そんな中、名乗りをあげてくれたのが、北京在住の映画プロデューサー・李鋭だ。
「最初は彼が『全部製作費を出す』と言ってきたが、最初は信用できないので(苦笑)、半分ずつ負担することになった。すると案の定、撮影直前に『やっぱり出せない』と言い出して、なぜか揺さぶりをかけてきたんですよ。その後もいろいろ面倒くさい事もあったし、ケンカもあった。向こうも、最初は僕の事を信用していないのだから仕方ないですよね。でもそうやって長い時間をかけて徐々に関係ができ上がっていった。今にして思えば面白い」
信用を築いた証か。現在、李プロデューサーは本作の中国公開に向けて、当局の映画審査機構にかけあっているという。しかし、日中関係が冷え込んでいる昨今、戦時中の話となるとすんなり許可は下りないようだ。
「おそらくこれが、中国人監督が撮った映画だったら問題ではないらしい。そんなに複雑な理由ではないようです。この審査を通すと劇場公開はもちろん、テレビ局やオンデマンド配信も可能になるので(収益的にも)だいぶ助かるんですけどね」
奥原監督は今後も、中国に滞在して次作の計画を練っているという。
「最初は言葉も全然できなかった。今はそっちの問題もないんですけど、でも言葉は問題じゃないんです。優秀な通訳を付ければいい。問題は、それ以外のコミュニケーションだと思います。本当に今回、いろんな事があったので、映画が完成した今は、実際、『どこでも映画は撮れる』という自信がつきました」
海外生活は人をたくましく成長させるのか…。次回は、同制度でフランスへ留学した、ドキュメンタリー映画『美しいひと』(5月31日公開)の東志津監督に話を聞く。(映画ジャーナリスト・中山治美)